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育ての親について

こんにちは、虹子です。
首都圏在住のアラフォー、
IT企業で非正規の社員として働いています。

前回

こんな記事を書きました。

ここにいてはいけない。
そう思って、
住み慣れた故郷を離れて上京するわけです。
その時19歳。

学歴について

高校は残念ながら中退、
当時の学歴を端的に示すと、
中学卒業後ニート、引きこもり歴3年。

もちろん、
学歴は人の価値には関係ないですし、
中学卒業して経営者や立派な職人さんになる方もいらっしゃいます。

だけど自分には何もプランがなかった。
毒親の価値観にすっかり染まり切り、
自分は価値のない人間だ……。
自分は社会ではうまくやっていけない……。
そう思い込まされていました。

高校を受験し合格したものの、
何となく行かなくなり、
留年、退学、
人ともうまくやっていく方法もわからず、
他人と自分は何か違う、
そう思うものの原因はわかりませんでした。

当時、自分の親のことをいい親だと思っていました。
何がいい親だ?と今なら大笑いしそうですけど、
すっかり毒親の言うことに染まってしまっていたわけです。

また、うまくやっていけないのは自分のせいだ。
やる気がないし、頑固だからだめなんだ。
これでは、将来どうやって生きていけばいいんだろう。
不安しかありませんでした。

東京のおばのこと。


私は東京に親戚がおりました。
私の生みの親だったMちゃんには妹がいて、
上京後、看護師になりドクターと結婚、
夫婦でアメリカへ行って2人の子供を出産したパワフルなおば。
少し前に一家で日本に帰ってきていたのです。

数年に一度の頻度で会っていましたが、
会うたびに何が欲しい?と聞いてくれて、
私の言う通りの欲しいものを買ってくれました。

まず欲しいものを聞いて、
買ってくれるというところからして、
私には信じられないことでして。
大好きなおばでした。

連絡をとり、
喫茶店で話をすること数時間。
おばは驚き、
「そんなことになっているなんて、知らなかった。気づかなくてごめんね」
と、絶句していました。
「いつ聞いても、Mちゃんは、
あんたは元気にやってるって言ってたのに、中学卒業後3年間も……」
話を聞いてくれたことが嬉しくて、
私は何もかも洗いざらい話しました。

当時、まだ人との交流が苦手で、
誰のことも信じていませんでした。
自分の親から裏切られるのに慣れ過ぎて、
誰もがそうなのだと思ってしまったのです。

だから、うまくSOSを出せませんでした。
全て自分が悪いと思っていたのですから。

ですが、おばは、
看護師であり、学校で働いているカウンセラーでもありました。
自分の表現できないこと、
隠していることをうまく聞き出してくれ、
幼少期からの絶望、自尊心の欠如、
暴力、裏切り、
色んなことを話すことで整理させてくれました。

今思うと運命の導きだったとしか思えません。
そして、おばの優しさと気遣い、仕事で培った経験のおかげです。

当時も人生に絶望し、何度も自殺をしようとしていましたから、
彼女がいなければ、私は気が狂うか、
少なくとも社会生活はまともに送れなかったでしょう。

おばは、
しばらくうちに来なさい。
と言って、首都圏のおばファミリーの家に、
ステイさせてもらえることになりました。
なんだかんだで、この後、
6年間、東京でお世話になることになります。

そこからまずは人間生活を学び、
愛情や人間の優しさを知ることになります。

今日はここまで。

#やさしさに救われて #日記 #育ての親

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