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子宮内膜症の治療体験記②〜転院と治療薬の選択から学んだこと〜

診断が出てから、病巣が手術の大きさの域ではないことから薬物療法となるが、低用量ピルか黄体ホルモン剤の選択肢を言われた。ピルのメリットとして最も一般的な治療薬であり種類もある、デメリットとして40歳以上は血栓症のリスクが高まる、めまい等の副作用がある。黄体ホルモン剤のメリットとして長期間服用可能、デメリットとして不正出血やほてり、頭痛、悪心等の副作用がある。
この選択を考えながら、診断が出た婦人科に通い続けることも躊躇していた。なぜなら、子宮内膜症であると診断された時にあまりにもあっさりと言われ、治療薬の選択もあまりにもデリカシーなく言われたからだ。自分にとっては今後の人生において大きなショックと選択だったが、気持ちも選択も考えてもらえなかった。

転院を決断。転院先では、もう少しわかりやすく詳細な説明があり、治療年齢・病巣・症状から選択肢は同じだったが、年齢的に黄体ホルモン剤の勧めという見解だった。ただ、すぐに出産希望があるのであれば治療より出産を優先、服薬にて治療を進めると時間がかかってしまうとのこと。「選択は簡単にできないよね、彼と相談してね」と気持ちを察して話してくれた。
しかし、すぐに決断。めまいという副作用に対して過去の副作用経験から苦手だったため絶対に避けたかった、39歳という微妙な年齢で悩んだが血栓症のリスクが怖かった、彼に相談の余地はなく出産希望があっても現実的ではないことから、黄体ホルモン剤のジェノゲストを選択。もちろん、副作用の不安はあったし、40歳までに子供がほしいという女性としての人生計画も狂い始めた。

ここで学んだことは、少しでも違和感があればセカンドオピニオンや転院を考えること、きちんと説明してくれて気持ちをある程度は察してくれる医師である方が助かること。ここでもまさしく、相談相手は必要。転院にしても治療薬の選択、治療優先か出産優先かの選択も、話せる人がいればもう少し精神的には変わっていた気がする。

さて、なぜ決断が早かったのかと言うと、交際中の彼とは結婚前提かつ自分の年齢を考えて40歳までには子供が欲しいとは話していたが、同タイミングで彼のお母さんの癌が再発かつ生存率も低かったため、彼に相談ができる状況ではなかった。さらに彼は当時31歳だったため、現実的な結婚話もできなかった。タイミングが悪いとしか言いようがなかった。

骨盤痛と闘いながら、精神的に頼る場所もかった。では、どうしたのか、副作用はどうだったのか等、また投稿します。

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