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子宮内膜症の治療体験記⑫〜手術当日〜

手術当日の朝を迎える。体感として数時間の睡眠。朝一の手術。看護師の方が手術着等を持って病室に来た。着替える。いよいよだ。もう明朝まで水分は取れない。歩いて手術室へ向かう。

手術室に入る。独特な雰囲気。照明が特に白く眩しい。
諸々な確認をされ、昨日挨拶に来た助手の医師もいて、なんとなくホッとする雰囲気の方だなと思う。のも束の間、その隣にもう一人いる、あれ?手術用の帽子にマスクのため目しか見えないが、昨日失礼な発言をした医師でなはいか!なぜ、そこにいるのだ!手術の怖さや不安もありつつ精神的におかしくなりそうだった。つまり、この医師も手術に入るのか。気が狂いそうになった。昨日、看護師に気持ちを察して会わないようにしてほしいと伝えたはすだが、なぜここにいるのだ!

気持ちが落ち着かないまま、諸々進み、手術代の上に横になる。あの医師もいる!確実にいる!もう逃げられない、なるようになれとしか思わなかった。手術してくれるのは主治医、助手の医師もとても優しい方だ、それを信じれば良い。

麻酔が入れられ、目が覚めた時は手術室でベッドに乗せられている状態だった。病室に戻る。明らかに睡眠不足の顔をした母が見えた。心配そうに見ている。
と同時に痛みで体が動かない。寝返りも打てない。なんだこの痛みは!腹腔鏡手術でもこの痛み、開腹手術となればどれだけなんだと恐ろしくなった。ただ、個人差がある、私は人より痛みが強い方だからだろうと自分をなだめる。

とにかく明日になるまであとでれくらいなのか、水分も食事もなし。時間を見るとお昼ごろ。喉が渇く。眠い。でも痛くて寝られない。
そんな中、ベッドの隣で椅子に座っている母はウトウトしていた。睡眠不足なのはわかっているが、こっちは痛みで寝たくても寝られないのに、うたた寝とは腹が立ち、自分は小さい人間と反省。母は夕方に帰った。

さて、ここからは一人での闘いだ。何度もコール。看護師の方に痛みと喉の渇きを伝える。どんなに痛み止めを使用しても痛いものは痛い。人より痛みに敏感なのだろう。喉の渇きは水でうがいをすることを看護師の方が言ってくれたが、その時は潤っても、結局すぐ余計に渇く。この繰り返しで、22時頃を迎える。脚には機械が装置されており、収縮されるようになっている。機械が装着されている両脚が痒い。コールし伝えると、機械を外し脚を見てくれたが湿疹等はないとのことで完了。機会を外すと痒みはなくなる。明らかに蒸れて痒みが出ているか、アレルギー反応か。今一度、伝える。痒み止めの塗り薬を塗ってくれる。改めて湿疹等何もないと言われる。とにかく痒い。タオルが脚にかかっていたが、それすら乗っていることも痒い。タオル取ると軽減されるがやはり痒い。

最終的に看護師の提案は氷枕やアイスノンをタオルで巻き、脚に置き、痒みを麻痺させるということだった。脚だけが寒い、でも痒みは冷たさで麻痺してなくなる。

当直の看護師は人数が減るためか、人によりコールすると嫌な表情をする。もちろん、快く対応してくれる看護師もいる。痒み、痛み、喉の渇き、どこまで訴えるか躊躇する。コールを押しづらい。闘いだ。自分よ、耐えろ!いつかこの経験が誰かの役に立つかもしれないと言い聞かせた。昼間はとても丁寧に対応してくれる看護師の方がほとんど。

ここで学んだことは、自己防衛なのか想定外なことが起きストレスフルになると人間はどうでも良くなり土壇場でリフレーミングし出す、何かに耐える力はいつか役に立つと信じる気持ちが自分の支えになる、看護師により態度が違うためコールが押しづらく気を遣うということ。
院内での連携をきちんとしくれるとありがたい。大概の看護師の方は丁寧にしてくれるし大変なのは重々承知だが、表情や声のトーンに気を付けてもらえるとありがたい。入院中に付き添う時、術後のうたた寝はメンタル的に堪えるので気を付けよう、とはいえ誰かが病室にいてくれるだけで心強い。

さて、痛みと喉の渇きと痒みで寝たいのに寝られず、さらに寒いまま翌日の朝を迎える。入院3日目、手術翌日。この日は痒みから解放されるための個人的な闘いが始まり、入院生活の中でさらに学びました。詳細はまた投稿します。

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