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「まわりの人にかわいがられる人であれ!」

私は4人の子供を育てた中で『周りにかわいがられる人』になってほしいという思いがあった。具体的にどんなことをしてきたかといわれると、はっきりと言葉にするのは難しい。


子供たちはその通りいいこたちに育った。周りに褒められることも、認められることも、頼られることも、助けてもらえることも、かわいがってもらえることも多い。


いいこ』という言葉を使ったが、私はこの言葉が好きではない。いいこって何?いいこって誰にとって?


私がしてきて子育てはあっていたのだろうか。子育てをしてきた人は、一度はそう考えるのではないでしょうか。


子育てがあっているか、あっていないかの答えなんて本当はどこにもない。あるとしたら、それは『子供たちが子供たちらしく生きること』が出来ていたら、なのではないかと思っている。


私はなぜ『周りのひとにかわいがられるよう』子育てをしてきたのかを考えた。


そこにはひとつ、私のうちなる子供の傷があったのかもしれないと思った。『私もかわいがってもらいたかった』きっとそんな思いがあるように感じた。


だから子供達には、いつでも周りが気にかけてもらえるような人になってほしいと思っていた。困ったときに、助けてもらえる人。悲しいとき、寄り添ってもらえる人。そんな風に、周りから手を差し伸べてもらえるような人になってほしいと思ったから。


自分が困ったとき、悩んだ時、一人で解決する力ももちろん大切だと思う。だけど、人生において、人が一人で生きていけるなんてことは、無いと思う。だからこそ、周りに気にかけてもらえるような人になってほしいと思ったんだと感じた。


それは、この間のミラーリングの話と共通していて、自分が相手に優しくすることが出来たり、困ったときは力になったり、誰かの悲しみに寄り添ってあげることが出来たり。それはきちんと自分に返ってくると思っている。


冒頭で、子育てにおいて具体的にどんなことをしたのかを、言葉にするのは難しいと書いたが、もしひとつあるとしたなら『やさしさ』を意識していたのかもしれないと思った。


自分が優しくされたいなら、自分が相手に優しくする。

自分が助けてほしいのなら、自分が相手を助ける。

自分を認めてほしいのなら、自分が相手の全てを認める。


きっと、そんな当たり前のことなのかもしれない。(当たり前という言葉も好きではないけど)ただ、当たり前は当たり前なんかじゃない。


やってもらって当たり前。そんな風に思うような人にもなってほしくないと思っている。そこには、相手に感謝する気持ちを大切にするということも含まれている。


やさしさなんて役にたたないと思う人もいると思う。だけど私は『やさしさ』を大切にしたい。