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僕らを育てたSFとゲームのすごい人 山本弘先生【ゲーム編】

山本弘先生の活躍範囲はあまりに広く、全貌を把握している人は誰一人いないかもしれない。SF同人誌時代、ウォーロック記事、ゲームブック、カードゲーム、TRPG、ゲームサークル会誌編集長、評論同人誌、と学会、映画秘宝の関連書籍、エッセイ、ビブリオバトル、なんば紅鶴トークショー、ファンロード投稿。おそらく、多様な分野の友人知人が山本弘先生を偲んで文章を書くことでしょう。だから私は、デビュー当初から亡くなるまで小説を読み続けてきた1人のSFファンとして、著作物を読んで見えざる手の指導を受けて遊び続けてきた1人のTRPGファンとして、2ジャンルにおける山本弘先生の功績を語ります。4月4日からしばらくは言葉にならず、されど偏った意見に抗うが如く断片を呟くのみ。四十九日が過ぎてから、ようやくまとまった文章を書くことができました。4月4日にnote投稿された海燕(ライター)氏の「正義と論理を志した人」という評論は、サイコロの1だけを見ているように思います。訃報直後にXで見られた「ディードリットの中の人」などバズりやすい話題だけでなく、TRPGを普及させた真実を知って欲しいと思います。

山本弘先生を一言で表すと、同人誌の題名を借りて「僕らを育てたSFとゲームのすごい人」でした。奇しくも東京創元社の訃報お知らせで『創作講座 料理を作るように小説を書こう』(2021)が最後の著書とされています。後進を育てることを意識され続けてきた証拠の一つです。

 料理人が料理のコツを明かしたって、何の支障もないでしょう?
 むしろ、テクニックを自分だけの秘密にしておくのがもったいないんです。多くの人に知ってもらって、面白い小説をいっぱい書いてほしい。そう思ってこの企画を考えました。

『創作講座 料理を作るように小説を書こう』p10より

山本弘先生の著作リストを眺めていると、厳密ではありませんが、およそ10歳ごとに傾向があるように見えます。

■大いなる助走(20代)

当たり前過ぎて言及されない重要な事実。山本弘先生は生粋の関西人です。京都府の山科で生まれ育ち、デビュー後は大阪吹田に住んでいました。関西人の多くは、オモロイことを重視します。理屈とかややこしい話よりも笑い優先です。ナチュラルボーン・エンターテイナー。山本弘先生も例外ではないでしょう。作品にはエンタメ精神が溢れていました。

山本弘先生は工業高校を卒業してから10年以上、アルバイトをしながら長い文筆修行期間。著書でスランプだったと言及されていますが、21世紀ではなかなか真似できません。私は『ファンロード』愛読者でもなく、SF大会参加者でもコミックマーケット参加者でもなかったので、デビュー前の活動を存じません。当時の知られざる活躍を誰かが語ってくれることを期待します。

 スランプの間、マクドナルドの深夜の清掃とか、大学の学食の炊事補助とか、目立たないアルバイトで10年ぐらい食いつなぎました。今でいうフリーターです。幸い、まだ実家で暮らしていたので、バイト代の半分ぐらいを家に納めれば、文句は言われませんでした。

『創作講座 料理を作るように小説を書こう』p34より

1990年5月に京都大学SF研究会主催の講演会に登壇された際、話のマクラに京都大学の学食でバイトしていたと語っていました。

■SF作家とゲームデザイナーの二刀流(30代)

比喩的な表現を使うならば、私は山本弘先生に三度、というか三段階で出会っています。最初は雑誌記事の読者として。安田均先生の著書によると、創作集団グループSNEが設立されたのは1987年。グループSNE前身の一つとなったゲームサークル「シンタックスエラー」は1984年12月に発足したそうです。初期のグループSNEが精力的にTRPG普及活動をした舞台の一つが雑誌『ウォーロック』(1986年12月創刊)でした。当時のゲームブックファンが飛びつき、TRPGへの橋渡しをした雑誌です。公式数字は不明ですが、『T&T』関連の部数から雑誌の発行部数は約10万部と推測します。私は他誌での活躍をあまり知りません。主に『ウォーロック』での功績を語ります。

(1) 漫画でTRPG紹介
『ウォーロック』読者にとって最初のインパクトは、漫画『私はこうしてバルサスした』(第2号、1987)でした。ゲームブック『バルサスの要塞』(1985)を遊んだレポート漫画。同じように苦労して攻略したゲームブックファンが共感しました。続いて『放課後のサイコロキネシス』(第5号)で初心者がTRPGを遊び始める姿を描きました。呪いのマジックアイテムで善良なエルフが混沌性格に変貌して暴走するというオチ。この頃から正義と悪との揺らぎを題材にされていました。図書館を静かに使いましょうという教訓もありました。連載漫画『どこでもT&T』(第7号~第12号)はTRPGの楽しさを十分に伝えてくれました。

紹介漫画の真骨頂が作画こいでたく先生と組んで『RPGマガジン』(1991年2月号~11月号)に連載した『RPGなんてこわくない!』です。連載当初はTRPGファンだけが読む雑誌で紹介漫画に価値はあるのかという印象でした。しかし、第3話「対決! 究極のRPG」で大きくはじけて、ゲーム『アステロイド』でロールプレイ楽しさからTRPG論を語ります。以降はゲーム経験者に役立つガイダンス的要素が濃くなっていき、第6話「どこで、だれと、どうやって」では仲間の見つけ方、第8話「ゲームマスターってどうやるの?」はシナリオ創作とGMテクニックを紹介されています。1992年にホビージャパンで単行本化された後、2000年にゲーム・フィールドコミックスから改訂復刊されました。描かれていることの多くは今でも通用する普遍的な内容です。なお、TRPG紹介漫画というコンセプトは令和時代も『GMウォーロック』連載『はじめてのAFF』(中山哲学、2022)に継承されています。

(2) ゲーム職人
確か『ウォーロック』誌上でこう評されていたと思うのですが、職人芸と言える多種多彩な作風は「ゲーム職人」でした。特に3つのオリジナルアドベンチャーゲームが印象に残っています。まず、第3号から第6号まで連載された『モンスターの逆襲』。ゴブリンを主役にして人間の冒険者たちに復讐するコンセプトに驚きました。TRPGでは低レベルでの敵、倒され役の印象を持つ、たかがゴブリン、されどゴブリン。秘宝「黒いヒスイ」特殊能力でより強いモンスターに進化して第4話ではドラゴン級の強力モンスターに成ります。冒険者たちが秘宝を奪っていったため、復讐の旅路で1個ずつ入手していく設定がうまく整合していました。
『ウォーロックvol.14』(1988年2月)はグループSNE総力特集号でした。『T&T リプレイ ロードス島戦記 帰らずの森のフェアリー』が掲載され、顔写真入りで創設メンバーを紹介されていました(当時の写真は安田均先生の著書にも引用されています)。
そのvol.14掲載『四人のキング』は後に『四人のクイーン』『四人のジャック』と合わせて文庫化されました。トランプ53枚からPC選択に使用するK4枚を抜いた49枚を裏向けて7行7列のダンジョンマップ形状に並べます。マップ上を移動するたび、トランプを表向けてイベントが発生します。1人から最大4人のプレイヤーまで遊ぶことが可能で、各自の目的のためにダンジョン内を駆け巡ります。いわゆるランダムダンジョン形式の遊び方の先駆けでした。対立も協力も起こり得る最大4人プレイのファンタジーボードゲームとしても、もっと高く評価されてもいいゲームです。これを参考にして、私は『ガープス・妖魔夜行』でミニイベントのランダム発生シナリオを作成し、コンベンション等で遊びました。5行5列にマップを縮小して『ソード・ワールドRPG』古代魔法王国の剣闘士奴隷バトルロイヤルシナリオも遊びました。

3点目は、FF世界の三大陸アランシア、旧世界、クールを巡る連作『暗黒の三つの顔』(単行本未収録)。本家FFシリーズでも同様のコンセプトは見当たりません。
ウォーロック以外でもう1点忘れらないゲームがあります。鈴木銀一郎先生の『モンスターメーカー』を皮切りに、1990年頃はカードゲームブームで各社から何点も発売されました。TRPGの合間の空き時間に1時間以内で遊べるコンセプト。そんなブームに発売された『モンスターハント』(1991)は正体隠匿系と言える独特の作風。互いの陣営を隠匿したまま攻撃を繰り返し、モンスターを狩って高得点を目指します。ドラゴン、デーモン、ゴブリンなどの他、姫や神官というマイナス得点キャラが混じっているのが秘訣でした。敵陣から自陣営に引き入れる「歌」攻撃もゲーム展開に変化を与える妙味でした。私たちは『モンスターハント』をすり切れるほど遊びました。

(3) クトゥルフ神話
山本弘先生の小説デビュー作は『ラプラスの魔』(1988)。同名のパソコンゲームのノヴェライズという位置付けでしたが、当時高額だったPC-8801のユーザーはどれほどいたのでしょう。私と同じように小説だけ読んだファンも多かったのではないでしょうか。ジャーナリスト、科学者、探偵、ディレッタントなど様々な職業の登場人物が個々の目的で幽霊屋敷を探索する始まり方が『クトゥルフ神話TRPG』典型的シナリオ導入。幽霊屋敷の秘密を探り当て、途中から異世界転移モノに変貌します。転移した先の舞台はナポレオンの没後、数学者ピエール・シモン・ド・ラプラスが統治するフランス。「ラプラスの魔」の正体と、それを倒す秘策に驚きました。クライマックスはラヴクラフト有名作品ともリンク。個人的には、草壁健一郎と合流する場面に驚きました。後に専用TRPGも制作されゴーストハンター・シリーズ第1作にナンバリングされたとはいえ、当時読んだファンにとって「クトゥルフ神話」小説の一つでした。

もう一つ『クトゥルフ・ハンドブック』(1988、ホビージャパン)はTRPG『クトゥルフの呼び声』のキーパーをしていた人は皆読んだのではないでしょうか。米国ケイオシム社による『クトゥルフ神話TRPG プレイングガイド』(2024、KADOKAWA)よりも35年も早いプレイガイド書籍でした。日本でのTRPG黎明期は『D&Dがよくわかる本』『T&Tがよくわかる本』『トラベラー・ハンドブック』など解説入門書が複数出版されていました。当時マイナーだったホラージャンルのTRPG『クトゥルフの呼び声』を解説した貴重な1冊です。

(4) シナリオ創作講座
もっとTRPGを楽しみたい、自分でもシナリオを作ってみたいというクリエイターたちに最も影響を与えた『ウォーロック』連載記事が、1988年後半に執筆された『シナリオを書こう RPGシナリオ創作講座』(vol.19から24)。GM中心の創作ではなく「プレイヤーを尊重しよう」。他ジャンルを参考にする「水戸黄門をファンタジーにすれば」など、当時の山本弘先生の創作テクニックが惜しみなく披露されました。いわば、TRPGリプレイと対になる準備フェイズの舞台裏。最終回サブタイトル「シナリオは料理である」は最後の単行本につながります。アイデア発想、シナリオ基本パターン7種類「退治型・探索型・救出型・脱出型・輸送型・調査型・競技型」の組み合わせ、導入の「引き」と「押し」、解決法の作り方など創作について『RPGなんてこわくない!』でも再度語られました。

(5) AFFリプレイ
AFFリプレイ『タイタンふたたび』(1991、社会思想社)は『ウォーロック』vol.46からvol.52に連載されました。『バルサスの要塞』などFFシリーズ代表作の舞台を再訪問する面白い趣向のシナリオがゲームブックファンの関心を掴みました。エルフのミシャップなど個性的なキャラクターの活躍も印象的。2020年代にTRPG『AFF2e』シリーズ翻訳出版が活発なのは、当時のファンの根強い人気かもしれません。

(6) ソード・ワールドRPG
AFFリプレイより前。山本弘先生を一躍有名にした代表作と言えば、やはり『ソード・ワールドRPGリプレイ集』でしょう。ルールブック発売とほぼ同時期に『ドラゴンマガジン』(1989年2月から1990年)で連載され、文庫本にまとめられました。軽めの掛け合いからスチャラカ冒険隊という愛称が付きました。後のバブリーズ(全4巻)、へっぽこーず(全10巻)、ぺらぺらーず(全9巻)と比較すると全3巻と短めですが、リプレイが1つのビジネスモデルとなりTRPG普及と出版社にもたらした影響は絶大です。『ロードス島戦記』が基本的に雑誌連載だけだったので、実質的な先駆者。2005年の「歴代リプレイライター座談会」で安田均先生は第1部、第2部の人気を振り返って「初版10万部の世界」(p9)と語っています。

第1部シリーズ全9話の中でも各巻の表題作が印象的でした。『水戸黄門』から発想したソックリさんネタ「盗賊たちの狂詩曲」はNPCナイトウィンドが魅力的です。魔法発動体を兼ねたショートスピアを颯爽とかまえ、魔法と武器を使いこなす魔法盗賊。鎧の制限で魔法戦士は難しい『ソード・ワールドRPG』で一つのデータ的テンプレとなり、遊ぶ際にはソーサラー&シーフ兼業を真似したものです。「モンスターたちの交響曲」は善良なゴブリン問題を提示しました。当時のTRPGファンは一度はゴブリン問題シナリオを遊んだ経験あるのではないでしょうか。私も駆け出しGMの頃に「ゴブリンの島」というシナリオを作りました。ゴブリン問題は、アンチテーゼと言えるライトノベル『ゴブリンスレイヤー』(蝸牛くも、2016)の出現により、TRPG界隈の普遍テーマになった感じがします。あわせて「自由と欲望」を肯定する暗黒神ファラリスと光を象徴する至高神ファリスの神官の在り方に問いを投げかけた端緒でもありました。この作風からも「正義と論理を志した人」という評論に違和感を感じます。第3巻「終わりなき即興曲」はクライマックスで高位シャーマンのダークエルフが、ケインのサイコロ出目に封殺。どんな状況でもサイコロ出目次第というTRPGの面白さ、ゲーム性を感じた最終話でした。キャラ作成風景に遡ると、スチャラカ冒険隊の戦士ザボ=ンが女性プレイヤーだったことも特長です。TRPGにおいて、異性PCを演じることに何の異論もないという前例を作りました。『ロードス島戦記』の「ディードリットの中の人」が公表されたのがいつだったかよく知りませんが、このリプレイよりずっと後のはずです。
スチャラカ冒険隊とバブリーズ(清松みゆき著)に挟まれたため評判をあまり聞かない第2部「魔境の支配者」「南海の勝利者」はよりシリアスで連続ストーリー重視なリプレイでした。サイコロ出目次第の悪い方の側面、PC死亡により新キャラに交代というシビアな一面も描かれました。前半NPCヒロイン枠だったシアちゃんがPCに昇格するのも新たな試みでした。
リプレイ集だけではありません。シナリオ集でも凝ったシナリオを提示しています。ソード・ワールドRPG シナリオ集『石巨人の迷宮』の表題作。上級ルールブック対応『四大魔術師の塔』収録の「砂漠の守護者」など。私が初めてGMした市販シナリオが「砂漠の守護者」でした。GMするためにデザイナーが作成した市販シナリオを読み込む作業は、一種独特の体験です。デザイナーの思考を追体験とでも言いましょうか。小説の映像化や、映画の脚本と監督の関係に似ているけれども、プレイヤーの演技や行動が全てアドリブという違い。実際のセッションを想定しながら読み進めることは、とても参考になりました。

1990年代前半、手軽で遊びやすいTRPGの代表格が『ソード・ワールドRPG』であり、山本弘先生のリプレイ集とグループSNEの先生方のシナリオ集に遊び方の参考例がたくさん詰まっていました。異論を承知で敢えて書くならば、にわかファンやアンチと見分ける分水嶺は『ソード・ワールドRPG』を遊んだ体験があるかどうか。どんなに論考を並べた机上の独論よりも、卓上会話の体験から滲み出る言葉が雄弁です。ある意味、1990年代に青春時代を過ごした者だけが同時代性をもって山本弘先生の前半生の活躍を語れます。「初版10万部」ですから、私だけが特殊ではありません。同じように影響を受けてTRPGを楽しんだファンは当時10万人以上いたのです。

(7) ガープス・妖魔夜行
『ソード・ワールドRPG』では水野良先生、清松みゆき先生に次ぐユーティリティ・クリエイターの立場でした。山本弘先生がメイン・クリエイターとして牽引したのが『ガープス・妖魔夜行』と<シェアード・ワールド・ノベルズ>『妖魔夜行』シリーズです。
TRPG雑誌『コンプRPG』に読み切り短編掲載というスタイルと、システム翻案作業を並行して紹介することで私たち読者の期待感を煽りました。シリーズ第1作「真夜中の翼」(『コンプRPG』vol.1、1991年11月30日刊)から第1期を締めくくる『戦慄のミレニアム』(2000)まで印象的な小説作品が多数あります(長編3作品、連作短編1冊、短編13作品、第三期までを含めた数字)。小説の他にも<妖怪ネットワーク>読者投稿をまとめた『ガープス・妖魔夜行データ集 闇紀行』(1995)やショートストーリー集『妖魔百物語 妖の巻』(1996)読者投稿の審査にも関わっていたと推測します。私も『妖魔百物語』企画に応募しましたが、小説の才能がないと理解できました(簡潔性を指向して精緻な描写や情緒的に書くことが苦手)。
特に『影の国の鈴音』『まぼろし模型』は遊んでいた『ガープス・妖魔夜行』のシナリオ発想に影響を受けました。『影の国の鈴音』のパソコン通信を介して情報やり取り、コンピュータゲームから出現する妖怪に対して、逆にオンラインネットワークゲームに閉じ込められた友人を救出に潜入するシナリオを作りました(1995年11月に)。『まぼろし模型』は「駄作も参考にしよう」手法です。ジャネレーションギャップを強く感じた作品でもあります。『プラモ狂四郎』ネタならば模型店で絶版プラモに出会うだけででなく、さらにその先の超絶展開を期待しました。プラモマニアの「想い」が妖怪プラモシミュレーションを生み出し、プラモでバトルだ。ターンエーガンダムやダンバインのプラモに搭乗した妖怪たちが敵と戦うシナリオでした。妖怪データを仮想空間にインプットする支援NPCとして登場させたのは狂四郎と呼ばれた人物。対外的なGMする自信のなかった私がJGC1999フリープレイ卓「悪魔のシミュレーション」でサークル外部でのGMデビューできたので、マニアの想いとは恐ろしいものです。山本弘先生が小説に書かなかった幻の模型妖怪シナリオという二次創作続編でした。

『妖魔夜行』以外に『ガープス』展開の異端児の文脈で説明すべきが『ときめきの仮想空間』(ゲームクエスト1997年5月、『アイの物語』収録)です。近未来、ネット内のヴァーチャルスペースでは様々な世界観を舞台にしたシナリオを遊べます。映画『レディ・プレイヤー1』(2018、小説邦題『ゲーム・ウォーズ』)のような世界観です。『ガープス・ドリームクエスト』と題されてJGC1997で体験卓を遊びましたが、残念ながらTRPGとして製品化されませんでした。ゲーム初回と同時に世界観紹介を兼ねて小説『ときめきの仮想空間』が雑誌掲載されました。仮想空間の可能性に心躍りました。もう一つ、実はインクルーシブデザインを内包テーマにした作品でもありました。約20年早いですね。あと一つ、ゲーム編で大事な何かが抜けていると指摘する人がいるかもしれません。いったん「僕らを育てたSFとゲームのすごい人【ゲーム編】」は名言を引用して締め括ります。

「RPGは起きて見る夢である」

『RPGなんてこわくない!』p186

安田:最後にまとめみたいな話をすると、
ぼくはリプレイという分野もこれからどんどんと育って、将来総合アートになってほしいなと。
ーー総合アートですか!?
山本:小説とも演劇とも違う、新たな。
安田:表現形態やね。
山本:芸術というとあれだけど。
安田:シナリオから発生していく物語みたいな。
山本:プレイヤーとゲームマスターが共同で作る物語。
安田:幻想を共有するような、物語の原点みたいなところを楽しもうという。面白いじゃないですか。こういう形態や分野があってもね。

『Role & Roll Vol.12』p18

『ソード・ワールド』歴代リプレイライター座談会は2005年3月3日のこと。リプレイ書籍だけでなく、TRPGリプレイ動画という表現形態が出現し、動画視聴という文化が生まれたのは別の話。このときの座談会記事を改めて読み返すと、SF作家の慧眼に唸らされます。日本で1990年代TRPG普及の歴史は、安田均先生や山本弘先生たちグループSNEの活躍が三本柱の1柱であり、その根底には関西人の面白さ、楽しさを追求するスタイルにあったと思います。

参考文献
山本弘. 2021.『創作講座 料理を作るように小説を書こう』(東京創元社)
『ソード・ワールド』歴代リプレイライター座談会(『Role & Roll Vol.12』2005. 新紀元社)
山本弘. こいでたく. 2000『RPGなんてこわくない!』ゲーム・フィールドコミックス
安田均. 2020.『安田均のゲーム紀行 1950-2020』新紀元社
山本弘のSF秘密基地(最終確認2024/5/23、web閉鎖された可能性)
http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/

ウォーロック目録
海燕(ライター)2024「【追悼:山本弘さん】ぼくが世界でいちばん好きでいちばん嫌いな作家、山本弘とは何者だったのか。(第一回:インターネット編)」
東京創元社