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好きじゃなくてもいい彼女、愛されなければ苦しい彼 【書評 『一番の恋人』】

恋愛至上主義という言葉があります。
どちらかといえば自分もそちら側の人間だったので、「人を好きになれない」という気持ちについては理解し難いというのが本音の部分ではあります。

しかし、それなりに年齢を重ねて人生の折り返し地点を迎えると色恋だけでは語れない愛の形について気づく機会も増えてきました。

それは例えば地元愛だったり、愛社精神のようものだったりしますし、また自分が親になってみたことで自分の親も含めた家族愛というものの姿も朧げながら見えてくるようになりました。

本作は恋愛と結婚に明確な線引きがされています。時代にそぐわない価値観と現代らしい恋愛観が入り混じり、その渦中に身を置く主人公・道沢一番と恋人である神崎千凪の想いが交差しながら物語は進みます。

一番は「男らしく」あることを父親から厳しく躾けられ(また押し付けられ)、自分もまた「男らしく」ある価値観の呪縛に囚われています。愛する恋人と結婚し家族を持つこと、それこそが一人前の男であると信じて疑いません。そこには真っ直ぐで強い愛があります。自分が選んだ女性を愛し、また自分も愛されること。そしてお互いに認め合い、助け合って生きていくこと。それが正しいと信じて疑いません。そう、疑うべき余地がないのです。僕もまたその考えに異を唱えられないことに気が付きます。

千凪はひたむきな一番の愛に戸惑う自分に追い詰められ、自分がアロマンティック・アセクシャルであることを自覚します。一番のことは好きだが愛ではない。世間一般の「普通」でありたい千凪は一番に契約結婚を持ちかけます。これはさすがに酷です。

僕は自分が典型的な男性であるからか、一番の苦悩が手に取るようにわかります。一番は衝動を抑えきれず、千凪はそれを無抵抗に受け入れようとする。この屈辱と悔しさと悲しさは筆舌に尽くし難く、読んでいてとても心が苦しい場面でした。一番はきっと心のどこかで「本当は千凪も自分のことを心のどこかで愛してくれているのではないだろうか」という淡い期待があったと思うのです。その想いが完膚なきまでに叩きのめされたのです。

二人が別れ、それぞれに失った心の穴が埋まらない生活が訪れます。一番はそれでもやはり千凪と生きていきたいと願い、父親からの呪縛から逃れる決意をします。兄・勝利が本当の意味で一番の理解者でした。僕には同性の兄弟がいませんが、もし分かり合えることがあるとすれば、お互いに良い人生を歩んでほしいと願うこととその手助けをすることなのだろうなと感じます。勝利、一番、それぞれの立場で誰と共に生きたいのかについて考えることは自分自身の人生を振り返るきっかけにもなりました。

一方、やはり姉妹である千凪は一番との別れを通して妹と分かり合えることができないこと、また母親への秘めた想いも吐露することになります。誰かの幸せを願うことが愛だとすれば、この物語の登場人物はみんな愛に溢れています。

うまくいかないかもしれない、答えは見つけ出せないかもしれない。
それでも一番と千凪は「恋人」として共にいることを選びます。
二人はかけがえのない存在であり、人生のパートナーであることをしっかりと自覚します。苦しいことが少しでも楽になれるような道を一緒に探せばいいのです。この二人ならきっとそれができると信じたくなります。

単行本の帯にはこうあります。
「読み終わった後、むしょうに誰かに優しくしたくなる。」

僕もまた自分の大切な人たちのことを思います。
幸せのかたちに「でなければならない」ことなどありません。
あなたの大好きな人が、あなたのことも大好きでいてくれますように。

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