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新宿毒電波通信 第二号 RED TRIP〜赤い旅路 第二回


旅行記 第二回「RED TRIP〜赤い旅路 」

旅行記第二回

RED TRIP〜赤い旅路

山本 拓也

 ポンポンおじさんは毎朝、決まった電柱に向かって立ち小便をしていた。すっきりしたところで、路地をブラブラしながら登校中の生徒たちに声をかける。
 「何年生?」
 「学校楽しい?」
 彼は基本的にこの決まり文句以外口にしない。私もしばしば声かけの対象になる。
 「2年生」
 「あんま楽しくない」
 お定まりの返事をする。いつも同じやり取りなので、いい加減こちらの顔も覚えそうなものだが、彼はあたかも初対面みたいな感じで話しかけてくる。
 放課後は「在日部落」にある空き地や廃屋で、友達とよく遊んだ。空き地にはナショナル製のブラウン管テレビ、窓ガラスが全部煤けてしまい中が見えない廃車体、荷台の板が何枚か外れたリアカーなどが雑然と放置されている。この地域に住む一部の人たちは高度成長の頃、「バタヤ」と呼ばれる廃品回収業を生業としていたらしい。あの空き地はその名残りだったのだろうか。
 近代における都市というものは隅々まで「規定されたもの」で埋め尽くされていて、とても息苦しい。「公園=遊び場」だし、「学校=勉強するところ」だ。そんな中で、廃屋や空き地や不法占拠のバラックなどは、地図記号にならない未規定な存在といえる。探検が好きな子供たちにとっては、300メートル四方にも満たないあの小さなエリアは、残された最後のフロンティアだったのかもしれない。そしてそこには、なぜか昼間からブラブラしていて、時々私たち子供の遊び相手になってくれる件のポンポンおじさんのような「よくわからない大人」がいた。
 社会の長年の暗い堆積物の上に、あの路地があるのは紛れもない事実だ。しかしあの路地とそこに住む人たちが、東京生まれの私にとって、数少ない原風景の一つになっているのもまた事実。「生活」という言葉と結びついたぼんやりとしたイメージ。
 ちなみにその場所は今、某大手分譲マンションや大型駐車場付きスーパーなどが立ち並ぶ小綺麗なエリアに様変わりしてる。まるで歴史なんて存在しなかったかのような佇まいだ。「やっと通学路にふさわしい通りになった」とPTAや区役所の人たちは、胸をなでおろしているのだろうか?(……なんて思ったが、そういえば街の再開発が終わった頃、当の小学校は少子化で廃校になったのを思い出した)


▲金正日肖像画。ポンポンおじさんはどこか先代将軍様に似ていた。

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