見出し画像

#23 ゆりかごから墓場まで灯りを

NPO法人にいまーるの理事・臼井です。
にいまーるは、障害福祉サービス事業を中心に手話普及活動も行なっている団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
障害福祉サービスの利用者は全員耳が聴こえません。
しかし、スタッフの比率は、ろう者2割:聴者8割と、聴者が多いので、双方の文化の違いが垣間見え、時には食い違うことも多々あります。
そんな職場から生まれ出る、聴者とろう者が共に仕事をする中での気づきを連載していきます。
新年度一本目となる今回はにいまーるのこれからについて書こうと思います。

理事の臼井です。
2011年に「にいまーる」を立ち上げ、2012年にNPO法人を取得。
あれから10年経った今、新型コロナウィルスに振り回され、ようやく落ち着いたと思った矢先にロシアとウクライナの戦争勃発による日常生活への影響(ガソリンや小麦粉の値上げ等)で世界の情勢が大きく変わろうとしています。

「海外に行こうと思えば行ける」状況でない今、青春時代を過ごす学生さんたちを見ていると海外に行きたくても行けないという実情があります。

学生時代といえば、耳が聞こえない自分に対して自己嫌悪になったことがありました。
耳が聞こえていたら、どんなによかったのだろう。
耳が聞こえていたら、そこまで困ることだって少なかっただろうに。
聴者と一緒に過ごせば過ごすほど、聴覚障害があるが故に幾つものハードルを越えなければいけないのかと。

そんな時に、海外に出かけて異文化に触れた経験は、とても大きな学びになりました。

現地の人たちと一緒にご飯を食べ、異なる言語圏を生きる者同士の文化を主張し合い、肌感覚で「他者との違い」を否応なしに感じる経験をしたことで、これまでの固定観念が打ち砕かれた私は「普通って何だろう」と考えるようになりました。

異文化を知ることは自分と向き合うことでもあります。

海外と国内での経験を一緒くたにすることはできないものの、手話を使う人たちの間にある文化を経験する機会を提供できたらと思い、コロナ禍の中を生きる学生さんたちにはボランティアなりアルバイトなりで積極的に関わっていただきました。

その結果、ろう者自身も「聴こえる人って、何でも聞こえて何でも話せるから羨ましいと思っていたけど、大変な時もあるんだね」と初めて知ったり、聴者も「手話は世界共通ではない、というのは知っていたけど、ろう者一人ひとりの手話でさえも細かいところで違っていたりするので、本当に言語の一つなんだなって思った」という感想が出てくるようになりました。

手話を使う人たちで形成するコミュニティは、デフコミュニティと呼ばれています。
ろう者が手話を使い、聴者も一緒に語り合い、共に仕事をしたりするコミュニティとして、この10年の間に就労継続支援B型手楽来家、グループホームかめこや、そして手話サロンひるかめを展開してきました。

手話ができるスタッフの雇用機会を生み出すことができた結果、ろう者・難聴者の社会課題が少しずつ可視化されるようになりました。地域の方々も手話で話す人を目の当たりにすることに慣れてきました。

それを踏まえてこれからの10年、にいまーるは何を目指していくのか。

ゆりかごから墓場まで灯りを」というキャッチフレーズにあるように、
耳が聴こえない子供が生まれた時、
耳が聴こえない子供が学校で悩んだ時、
家族が耳が聴こえなくなって困った時、

そんな時に「それなら、にいまーるに相談してみたら」「にいまーるに行ってみようか」と。

周りは聴こえる人ばかりで何を話しているのか、まったくわからない。
相談したいけど手話のできる人がいないから困っている。
手話サークルや講座で学んだけれど、すっきりしないなぁ。気軽に質問したいな。

そんな時に「それなら、にいまーるに相談してみたら」「にいまーるに行ってみようか」と。

ネットでググれば、情報はいくらでも入る。
本を読めば知識はいくらでも入る。

でも、情報過多の中で、どうしたらいいのかという道標を自分で選択し、自己決定していくためには専門職からの助言が必要になることもあります。
そんな時にアクセスし、多様な選択肢を共に考えて、自己決定していくコミュニティこそが福祉の目指す形だと思います。

ろう者と難聴者を取り巻く環境は、世界の情勢と共に大きく変わってきています。
一つは、手話の認知度の広がり
もう一つは、ろう者の教育環境が広く知られ始めていること

当事者の肌感覚としては、目に見える露骨な差別は少なくなってきています。
筆談をお願いするにしてもあからさまに面倒な態度を見せる人はだいぶ減ってきました。

そういう人に出会わない環境を私自身が作っているからかもしれません。
とはいえ、やはり、聾高齢者から見ると今の時代の方が生きやすいようです。

生きやすい。
しかし、生きづらい。
同じ時代を過ごしていても、一方では快適じゃないと思う人がいます。

白黒をつけるよりもグレーな部分が相まって初めて、人に優しくなれるのかもしれません。
これが本来の福祉のあり方なのではないか、と思います。

今後の10年間は、世界情勢も大きく変わる中で、にいまーるに関わる人たちが幸せだと感じられるよう、そして、ろう者と難聴者及び聴者にとっても希望が持てる場になれるよう、新事業を展開していきたいと考えています。

一つは、耳が聞こえない子供たちが集まれる場。
もう一つは、企業だけれど企業っぽくない就労の場。
そして、余生を楽しく幸せに生きる介護の場。

地方ならではのロールモデルを新潟から発信し、海外のデフコミュニティとの関わりを持つことによって
「日本の中に新潟があって、『にいまーる』という名前があるらしい」と噂になるところまで目指していきます。

にいまーるの挑戦はまだまだ続きますので今後も応援よろしくお願いいたします。

文:臼井千恵
Twitter:@chie_fukurou
Facebook:@chie.usui.58

インタビュアー/ライター:横田大輔
twitter:@chan____dai

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?