見出し画像

#18 ポイントカードはお持ちですか?

にいまーるは、障害福祉サービス事業を中心に手話普及活動も行なっている団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
障害福祉サービスの利用者は全員耳が聴こえません。
しかし、スタッフの比率は、ろう者2割:聴者8割と、聴者が多いので、双方の文化の違いが垣間見え、時には食い違うことも多々あります。
そんな職場から生まれ出る、聴者とろう者が共に仕事をする中での気づきを連載していきます。
今回は短めのお話をエッセイ風に3本。お届けします。

ポイントカードはお持ちですか?

先日、スーパーで買い物。
レジの店員はマスクとゴム手袋を着用。
 
長蛇の列を為した客を手際よく捌いていく。
 
「お待たせいたしました」
「お預かりいたします」
 
僕の商品カゴの中身を右から左に移しながら言う。
 
「袋はお付けしますか?」
「ポイントカードはお持ちですか?」
 
次々と質問が来る。
「割箸はお付けしますか?」
「ドライアイスは必要でしょうか?」
 
僕は「いいえ」と何度も答え続けるのがいささか気不味くなって、最後の質問には「声」を出さず首を横に振って示してしまった。
 
ふと思った。
僕の職場には耳の聞こえないAさんがいる。
50年以上、手話でのコミュニケーションに気持ちよさを感じ、音声のない世界で体得した文化に生きやすさを感じている人だ。
 
彼もこのスーパーで買い物をする。
マスク越しの質問攻めをどうしているのだろう?
箸が欲しいと思うときにちゃんと貰えているのだろうか?
 
店員さんはどうしているのだろう?
質問に対する反応が無いから、無視されていると感じてしまうのだろうか?
 
生まれつき聴力に障害がある方の中には、
話すことはもちろん、声を出すのも苦手としている人がいる。
 
マスクをするのが当たり前になった昨今で、さらなるコミュニケーションの困難に直面していると聞く。
 
目の前にいる人が喋っているのか、喋っていないのか、がまず分からないそうだ。
喋っていれば当然ながら口は動くが、その口はマスクの中に隠されているからだ。
 
就学前の小さな子であれば。
外国人であれば。
外見から分かるのだろう。
店員さんはきっと平易な日本語で対応してらっしゃるのだろう。
 
見た目で分からない苦手さは意外と少なくない。
重大な誤解を生んでしまう悪因にならないか心配になった。
 
見て分かることよりも、
目に見えないところに本質がある。
 
 
ところで、
--「ポイントカードはお持ちですか?」
 
こう聞かれたら(もし持っている場合は、提示してください)という意味だ。直接そう言われなくても、だ。我々は見えない部分を察して解釈している。
 
音声文化の中で生きている僕らの感覚は、
音声の無い世界での生きやすさの文化を持って暮らしている人たちとズレがあることが多い。
 
--「もしもし、お母さんはお家にいますか?」
--「はい、います。」(ガチャ)
 
こういった文化にまつわる話は、
また別の機会にしたいと思う。


歩み寄りの一歩目はどちらから?


体育の授業が大嫌いだった。
確かに僕は他人より運動神経に乏しいけれど、
それが理由ではなかった。
 
僕はクラスに友達がいなかった。
 
体育という教科は、
ペアやグループやチームを組んで活動することが他の教科に比べると圧倒的に多い。
だから、体育は嫌だった。
 
怪我をしない為にはまずストレッチから。
 
体育の先生はいつも号令をかける。
「よし、まず二人ペアを作れ」
 
怖かった。いつも寂しかった。
僕は決まって輪に入れず最後に取り残された。
「声」には出せないが、心の中では『声』を上げていた。
最後に残った余り者同士を先生はくっつけた。
 
 
ある授業の日、一人が歩み寄ってきて僕に声をかけた。
「一緒に組む?」
彼がペアを組んでくれたのはその日だけだったが、僕は今でも彼のことを忘れない。
 
高校1年、バレーボールの授業で怪我をした。
全治半年の骨折、入院して手術した。
 
--やはり体育は大嫌いだった。
 
 
ある文化集団の中での少数派をマイノリティと呼ぶ。一方、多数派をマジョリティと言う。
 
人は様々な社会集団の中に属して、多種多様なパーソナルな性質を備えている。
ある集団においてはマジョリティであり、またある集団においてはマイノリティでありうる。
 
相互に尊重しあい、生きにくさを受容して、どう生きやすさに繋げていくのか。
お互いに歩み寄るとき、最初の第一歩はどちらが踏み出すのか?
 
最初の第一歩目は僕から。


「カンカンカン」


踏切で遮断バーが降り始める時間や、
警報音が鳴り始める時間には
細かくルールが規定されているそうだ。
 
さきに登場したAさんの話。
 
背中を丸めた高齢女性が
押し車を手にして踏切を通過中だ。
遮断バーはすでに降りてきている。
 
たまたま通りかかった彼がその光景を目にした。
彼は耳が聞こえないので、電車が近づいていることを知らせる警報音は知らない。
普通では無い状況であることは分かったので、彼は動揺し『危ない』ととっさに『声』をあげたが、すぐに冷静になった。
 
踏切に備えた「非常ボタン」を押しても、自分はおばあさんと話をすることができない。
 
そもそも、「非常ボタン」を押したらどうなるのだろう?
けたたましい音が周囲に鳴り響くだろうか?
鉄道会社に電話が必要なのだろうか?でも自分は電話ができない。
周りの人が集まって来てくれたとしても恥ずかしい思いをする。
 
彼は「声」を出せなかった。
というより「声」を出さなかった。
 
--そして、踏切から目を逸らした。
 
という話を、
後日、彼は自分の『声』を吐き出すように手話で僕に話した。
 
 
-----「声」なき『声』を「声」にするため、僕は「声」をあげ続けなければならない。

---

文:毛利真大(就労継続支援B型手楽来家・職業指導員)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?