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#24 利用者の人生観に触れる

にいまーるは、障害福祉サービス事業を中心に手話普及活動も行なっている団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
障害福祉サービスの利用者は全員耳が聴こえません。
しかし、スタッフの比率は、ろう者2割:聴者8割と、聴者が多いので、双方の文化の違いが垣間見え、時には食い違うことも多々あります。
そんな職場から生まれ出る、聴者とろう者が共に仕事をする中での気づきを連載していきます。
今回は、介護職経験のある職員のコラムをお届けします。

訪問介護での経験

私の前職は訪問介護でした。海風吹き抜ける橋や上り坂下り坂を、自転車を漕いで一軒一軒訪問し、自立支援に向けたケアに携わっていました。利用者様の人生観や生活スタイル等は当然、皆様ちがっています。

掃除や入浴介助の合間に、利用者の方の新潟弁に合わせてこちらも新潟弁で喋ると心の距離が縮まるのでしょうか。昭和時代のおやつは庭先の柿やイチジクそれから畑のさつま芋などと懐かしんでおられたり、また他の方は、戦争中は勉強より勤労奉仕活動といって、工場で一日中兵隊さんの冬コートを縫っていたと厳しい表情で話し、でも今は幸せとにっこり満足そうな笑顔を見せて下さいました。

時間いっぱいお話を聞かせてもらった後は、次の訪問先に自転車を猛スピードで漕いで、約束時間に無事到着ということは度々でした。

ある日いつもの様に一人住まいの方を訪問。異様な静けさを感じながら不安な思いで入室すると、いつもの場所におられずアチコチ探し歩くと思わぬ場所で横たわっていました。すぐに救急車要請の判断や事業所への連絡が必要な場面があり、一人住まいの厳しい現実に遭遇しました。心に哀しみや無念な思いを抱えたまま我が家に帰宅。今も何気ない時に頭にふわりと浮かんできます。

また他の訪問宅では親子の会話が玄関口でも聞こえて、どうやら記憶力乏しくなった利用者様とご家族が探し物で認識がずれて会話困難な状況のようでした。どちらのお話もゆっくり傾聴している内に、心が落ち着きいつもの親子の会話になり穏やかな雰囲気となり一安心。残り時間内での慌ただしいケアにも、いつもの親子関係に戻れたことで次回の訪問約束を笑顔で終えることができました。

手楽来家にて

介護職の空いた時間で手話を習い、現在は手楽来家に勤務しています。手楽来家へは20代から80代の方々が元気に通って来られます。

利用者の一人であるAさんとお茶を飲みながら話していた時、仕事の話題になりました。卒業後は県外の飲食店に就職し、アパート住まいでしたが、隣室には大学に通う妹さんが住んでいて安心だったようです。
お店で修行中に作家の壺井栄さんが来店。Aさんの表情が周りの店員と違うことに着目。その修行の様子が週刊誌に2週にわたって掲載されたことを普通の出来事のように語ってくださいました。作家が偶然来店?と思い、詳しくお聞きすると壺井さんとAさんのお父様がお知り合いだったそうです。

私の想像ですが、お父様はAさんの事が心配でたまらず壺井さんに様子を見て来て教えてくれるよう頼んだのでは?壺井さんもAさんの表情に胸打たれたのでしょうね、きっと…。アパートの隣室に妹さんが住んでいたのも、ご両親の深い愛情だったのでしょう、きっと...。

Aさんは苦しかった事、辛かった事など話しません。周りの後輩を気遣ったり心配で話しかけたり、ゆったり大らかな笑顔から広くて大きくて暖かくて強い心が伝わってきます。

訪問介護、手楽来家に携わることで多くの方々と出会うことができました。十人十色、百人百様。生活スタイルや人生観はそれぞれ違っていて当たり前ですね。

さまざまな人生観に接し、それぞれの人生観の何処かのページの数行を読ませてもらったように思います。

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文:山崎なみ子(就労継続支援B型手楽来家・生活支援員)

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