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#2 ろう者にとっての日本語

NPO法人にいまーるは、障害福祉サービス事業を中心に手話普及活動も行なっている団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
共通言語は手話と日本語。
障害福祉サービスの利用者は全員耳が聴こえません。
しかし、スタッフの比率はろう者2割:聴者8割と、聴者が多いので共通言語に「日本語」が加わります(メールや報告等の記録は全て日本語)。
そんな職場から生まれ出る、聴者とろう者が共に仕事をする中での気づきを連載していきます。
今回は「ろう者にとっての日本語」について書いていこうと思います。


手話は言語

冒頭で共通言語は「手話」と「日本語」と述べました。

当法人のnoteにたどり着くような皆さんにとっては当たり前の話かもしれませんが、初めて聞く人もいるかもしれないので念の為.

手話は1つの言語です。

日本語や英語が音声言語であるのに対し、手話は、手や指、顔の表情などを使った視覚言語であり、音声言語とは異なる文法体系を持った独自の言語です。

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言うまでもありませんが、手話はろう者にとって、日常生活に欠かせない情報伝達手段です。

しかし手話が言語であるという認識が乏しく、その重要性を含め理解が得られていない現状があります。

手話だけでは仕事ができない

「共通言語が2つって、手話だけじゃダメなの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本語ができないと聴者と共に働くことは難しいでしょう。

確かに、自分の身の回りにろう者がいらっしゃる人はわかると思いますが、会話は全て手話です。

ですが、仕事となると話は別。
ビジネスコミュニケーションは対面での会話だけではなく、メールやチャット、企画書や報告書、会議の議事録を作ったり…など、手話だけで進められるものの方が少ないのです。

その一番の理由は、手話が「記録」に向いていないことです。

議事録のアーカイブや、何か問題が起きた時の状況証拠であったりと、仕事をしていれば、文字として記録を残すことは必ず求められます。文字がない以上、日本語で記録するしかないわけです。

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こうした背景で共通言語が二つあり、ろう者は母語ではない日本語が求められるわけです。


ろう者にとっての日本語

ろう者にとっての日本語は、目で見て覚える言語(聴力によっては、耳で理解する人もいる)なので、文法はともかく語彙力も個人差があります。

文脈で判断できるのでは?と思ったりもしますが一筋縄ではいかないみたいです。

手話で話しをするときは、顔を見ながら話すので言葉の概念や意味が伝わっているかどうか確認できますが、メールやLINEとなると日本語を介してのやりとりになるため、受け手によっては思わぬ方向に行く時があります。

異文化コミュニケーションにありがちなパターンとはいえ、「ろう者が作った日本語」を読んだ聴者がどのように受け止めたかについて、両者が確認する機会はそれほど多くはありません。またその逆も然り。

ろう者スタッフの一人に聞いてみると、


「聴者が書く日本語は難しい言葉が並んでいるから意味が分からなくて、でも重要ではなさそうだからそのままにしておいた」

という答え。

一方で、聴者から挙がる声は

「なんとなく違和感があったけれど、そこまで言っていいのか分からないからそのままにした」。

高校生の時に英語の長文テストが出てきたときに悶絶するような感覚なのでしょうか。と一瞬共感はしたものの、仕事を進める以上そのままで良いはずがないということで、一緒に日本語の意味を確認してみました。

その結果、日本語力は確かに個人差があるとはいえ、文法や語彙力だけの問題でもなさそうな気がする結果に。
日本語が持つ「文化」にも関係している部分もあり、
特に行間を読む、などというのは、ろう者が「ああ、やだ難しい!」と感じてしまうところ。

仕事を進めるときの致命的なミスを避けるためには、両者が言わんとする部分も含めて、目的を明確に確認する作業が必要になってきます。

ろう者が書いた日本語を指摘することは、ろう者を非難することでもなく、日本語を苦手とするろう者に対して同情することでもなく、あくまでも「この文章は何を伝えたいのか」という目的を明確にする共同作業が本来のあり方なのではないかと思います。

一方で、聴者が書いた日本語に対して、ろう者が理解するためにはどうしたらいいのでしょうか。

ろう者同士で意味を確認し合うことはよくあるけれど、書き手の聴者に対して

「すみませんが、この文章の意味が分からないので教えて欲しい」

と確認作業を始めることにより、聴者も「こういう部分は伝わりにくかったのか」と改めて振り返ることができるのではないでしょうか。

両者がお互いに言い合える関係に発展していけばそこまで悩まなくてもいいけれど、ろう者は「聴者に馬鹿にされてしまわないだろうか」と不安を抱え、聴者は「ろう者は耳が聞こえなくて日本語を覚えるのは大変だったろうし、かわいそう」などと同情してしまっては本当に仕事になりません。

仕事とは給与をもらっている以上、その道のプロとして頭を使い、身体を使い、自分の持っているスキルを発揮しながら事業を回していくものでしょう。
ろう者は恐れず日本語を正してもらうところを最初の一歩とし、その積み重ねで聴者とお互いに言い合える関係に発展していくのだと思います。

異文化を理解し、プロとして仕事を進めていくことはそういうことではないでしょうか。


NPO法人にいまーる:http://niimaru.or.jp/
著:臼井千恵
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編集,デザイン:吉井大基
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