「ハ」と「ガ」から考える国文法教育

前回の投稿からかなり時間が空いてしまい、申し訳ありません。また改めて国文法について考えてみたいと思います。


私が国文法教育に関して常々思っていることとして、「ハ」と「ガ」の違いについて、なぜ深く考えさせる機会がないのか、ということがある。

国文法では「ハ」は係助詞、「ガ」は格助詞ということくらいは必ず習うと思うが、その分類がそれぞれの単語の意味にどのようにつながるのか、ということは習わない。


現在、ある中学校で補習指導を行っているが、その中でこのようなことがあった。

英語の「受身」についての文法問題で、「日本文に合うように単語を並べ替えて英文を作れ」という問題であった。

彼らの国ではたくさんの学校が必要とされていますか。
( country / many / their / needed / in / schools / are )?

この日本文では「たくさんの学校が」が主語であるから、英文でも"many schools"を主語に置くのが適切である。

しかし、ある生徒(中3)はこの日本文の主語を「彼らの国では」だと考え、英文でも"their country"を主語だとした。おそらく、文頭にあり、「ハ」で示されているから、「彼らの国では」が主語だと考えたのだろう。


私は、このことに愕然とした。英語以前に、日本語を構造的に理解することができていないのである。

それは、この生徒の母語に対する意識が低いから、というのではない。国語の授業でそのようなことを考える機会が与えられていないことに問題があるのだろう。


「ハ」は主題標識であって、主語を表すとは限らない。「ハ」は、「ガ」や「ヲ」の代わりに用いられたり、「ニ」や「デ」や「ト」などの後について「ニハ」「デハ」「トハ」となったりすることで、主題を表す機能を持っている。

(かといって、「ガ」が必ず主語を表すとも限らない。しかし、このことを突き詰めると、「主語とは何か?」という問題にも立ち入ることになり、さらには「そもそも日本語に主語はあるのか?」(三上章、金谷武洋などの著作を参照)という論争にもつながってしまう。)

「ハ」と「ガ」は日本語の中でも最重要と言えるテーマであり、日本語学・言語学における膨大な研究の蓄積がある。しかしながら、それが国語教育に全く反映されていないというのは、悲しい話である。


現在の国文法教育は、品詞の分類を重要視しすぎており、それがどのように意味に結びついているのかが、ほとんど無視されている。特に受身などの統語的な問題には、ほとんど触れられていない。

しかし、英語教育が重要視されている現代においては、英語の学び方と同時に、日本語の学び方についても改めて考え直していく必要があるだろう。

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