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国文法はなぜつまらないか

国語の授業で国文法を習った記憶は、きっと誰しもあるでしょう。「品詞」「文節」「○段活用」など、具体的な用語を覚えている人もいるかもしれません。

しかし、それらの記憶を面白かった、楽しかったものとして思い出す人は、あまりいないのではないでしょうか。むしろ、「元から使える日本語の文法を学ぶ意味がわからない」「学んでも何も役に立たない」と思っていた人も多かったのではないでしょうか。

それは、国文法(口語文法)が古典文法(文語文法)を学ぶための準備段階として教えられていることが多いことによります。すなわち、国文法は必ずしも現代の日本語をより深く理解するために教えられているわけではないのです。

たしかに、現在使っていることばは基本的には支障なく使えているのだから、深く理解するも何もない、とも言えます。実際、外国では母語の文法を教育で扱っていないことも多く、それでも何ら問題は生じていません。

しかし、近年のグローバル化により、英語などの外国語学習の必要性が叫ばれる現代においては、相対的に日本語について意識することも多くなり、日本語に対して理解を深めることは(特に文化的な生活を行う上では)意味のあることだと言えます。なお、ここで言う日本語に対する理解とは、日本語を数多の言語の中の一言語としてメタ的に理解することを意味しています。


それでは、国文法を今使っている「ことば」のより良い理解に役立つようにするにはどうすればよいのでしょうか。このことを考えるには、現在学校で教えられている国文法(学校文法)が作られた歴史について見る必要があります。

学校文法は、橋本進吉という国語学者による文法(橋本文法)の影響を強く受けています。橋本文法とは「文節」を重要視した文法であり、学校文法も「文節」をその土台として取り入れています。しかし、この「文節」という考え方を橋本が初めて示したのは1934年のことであり、戦後すぐの新教育で「文節」を中心とした橋本文法を取り入れた学校文法が作られたのち、現在に至るまで学校文法はほとんど内容が変わっていません

しかし、国語学・言語学の研究はその間に凄まじい発展を遂げており、それまでとは異なる考え方も多く打ち出されています。その長年の研究成果が、学校文法にはほとんど反映されていないのです。


様々な言語と接触することが多くなった現代だからこそ、国文法について考え直し、メタ的な視点から日本語をより深く理解できるような国文法を新たに作る必要があるのではないでしょうか。

以降の記事では、国文法の具体的な内容について触れていこうと思います。

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