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何でも出来ると思われがちな自分が嫌い【カミングアウト】

いま、テントの中でこの文章を書いています。

三連休で、大自然で、川のせせらぎが気持ちよくて、温泉最高。
ゆるみまくっていた私の目に飛び込んできた、この記事が古傷を呼び覚まし、いてもたってもいられず、ポチポチ文字に残しています。

まずね、タイトルですよ。
「何でも出来るは、何にも出来ない」

ズゴーンと胸に隕石が突き抜けていって、ハートが空洞化しますよね。いや、ブラックホールかな。

本当、このさとうさんの記事は、いまの自分には必要な内容でした。

初めて。カミングアウトします。
何でも出来る、と思われがちな自分が嫌いです。

<見出し>
1. 子どもの私が決意したこと「人より不器用なんだ」
2. 教授に見破られた付け焼き刃「器用貧乏に、ならないでね。」
3. 恩師のつぶやきが突き刺さる「本当に器用だねぇ」
4. 器用でいる事も、不器用でいる事もやめた

1. 子どもの私が決意したこと「人より不器用なんだ」

小さな子どもだった私は、不器用でした。
今でも覚えているのは、給食袋にマスクやナフキンなんかが上手く入れられなくて、どうしてもぐちゃぐちゃに突っ込んでパンパンに膨らんでしまう。

みんなは普通にやっていることが出来なくて、なんで出来ないかが分からなくて、悲しくて、
部屋のすみで一人、繰り返し練習していた私の姿。

そうして、小さな私は思ったのです。
「私は人より不器用だから、人よりもいっぱい頑張らないと」

そうして、少しずつ内側の「不器用」を、努力の外皮で覆い隠す術を身につけ、
「器用」っぽい風にごまかせる青少年に成長しました。


2. 教授に見透かされた一言

美大生の頃、私は日本画専攻でしたが、大学の方針で、半年間は他コースへ学内留学する必要がありました。

私は人数調整の都合で、一番合わないだろうと感じていた洋画コースへ。

やってみると、やはりしっくりこない。水性の日本画、油性の油絵だもの。私は水が合うなぁ…と思いながらの半年。

でも、作品は何となく、出来ちゃうんですよ。努力で築いてきた「器用」がありますから。パッと見面白そうな、ちょっといい感じの表現。

そんな作品を出した合評会で、油絵の教授に言われた言葉。

「器用貧乏に、ならないでね。」

はー、見抜かれた。と感じました。努力の外皮で隠している付け焼き刃がバレた。

「合わない」と理由にかこつけ、自分を小出しにして、突き抜けようとしない。
ダサいを通り越して、くさい。くさいですね。

そんな言葉を胸に、日本画コースへ戻ってからは、かなり自分に正直な創作が出来たと思っています。率直な有り難い言葉でした。


3. 恩師のつぶやきが突き刺さる

そして、アートセラピーという世界に出会い、社会人になってからは専門的に学べるスクールへ通いました。

卒業後は、とても幸運な事に、小さな講座を担当させて頂いたりもしました。
その講座を恩師がのぞいて下さって、ポツリとこう仰ったのです。

「本当に器用だねぇ」

これはおそらく、褒め言葉だったのだろうと思います。

でも、突き抜ける何かがないと価値がない、と思っていた私には、つらい言葉でした。ナイフが刺さったように心が痛みました。

…いや、ちゃうんです、器用ちゃいます。吐いてでも、お腹下しても、出来るまで練習して、やっと人並みにやってるだけなんです。努力してるだけなんです。

って心の中で、叫んでいました。


4. 器用でいる事も、不器用でいる事もやめた

何でも出来ると思われること。
長所のはずなのに、長所だと思えない。

器用でいる事も、不器用でいる事も、「もう違うな」という段階に来ていました。

最近、仕事が減り、自分の行く先をじっくり考える時間ができた時、
飽き性の私が、飽きずにずっとやっている事。ずっと好きでいて、ずっと一緒にいたい事。それらは、出会った時と同じ輝きで、心の中を照らしていて。

さとうさんの記事のように「私はこれが強みで得意なんです!」と胸を張って言えるほどではないけれど、
でも、自分のぶれない主軸として、人生の大切な部分を支えてくれている。
うん。これで進んでいいんじゃないか、とすんなり思いました。

それが、日本画と、アートセラピー

そして、その二つの主軸が重なるニッチな領域が、
今、私をすごくワクワクさせてくれています。
器用だとか、不器用だとか、そう言う価値観をすっ飛ばしてやってみたい気分

ちなみに…この記事の写真は、色鉛筆の削りカスです。

今もクライエントさんに会う前に色鉛筆を削って整えたり、
地道な努力はやります。結構、その時間もその自分も好きです。








ありがとうございます。サポートは、日本画の心理的効果の研究に使わせていただきます。自然物由来の日本画材と、精神道の性質を備える日本画法。これらが融合した日本画はアートセラピーとなり得る、と言う仮説検証の為の研究です(まじめ)。