当たり前基準とは
東日本橋の社長です。
自らの当たり前と他人の当たり前が違うこと
これは非常に重要な議題だと感じます。
人は自らの当たり前を正義とし、その基準で行動を起こします。
しかしながら、自分と他人は基準が異なるということに気づかず、人と接する人が多いのが現実です。
なぜ、企業は採用基準を設けるのか
なぜ、学歴フィルターが存在するのか
理由は明確です。
確率論で基準の近い人間かつ成果を出すことができる可能性の高い人材を母集団形成したいということです。
経営者は限られたリソースで成果を最大化する必要があり、意思決定を常に求められるのです。
基準の違いとは
例えば、以前の記事にも記載がありますが、私は幼い頃からサッカー競技に取り組み、世代別日本代表にも選出をされていました。所属チームも一定のレベルに達しているメンバーしかおりませんでしたので、マイナスな発言をする人間が少なかったり、ポジテイブに物事を転換する能力に長けているメンバーが多かった記憶があります。
面白いことにリーグが下がったり、下位チームになればなるほど、基準値は下がります。それくらい環境は重要だと感じますし、その環境に入れるような自分でいる必要があります。
いざ、社会に出てみると
自らの標準は世の中の標準ではないことに気づきます。
(居酒屋でも文句を垂れているサラリーマンが多いと思います)
まあ、文句を言う人はどの環境でも外的要因のせいにするので気にしてません。
一方で他の視点から事象を捉えると、彼らも何らかのサービスを活用している消費者だという見方もできます。なので、この話自体も私の主観に過ぎないのです。
他者を完全に理解することはできないですが、
理解する努力を怠ると重大なチャンスを逃しかねないなと常に思っています。
最近あったこと
外資系の戦略コンサルティングファームに勤めていたという方とコミュニケーションをとる機会がありました。
とても優秀な方なのかなと思いながら、打ち合わせを実施しました。
(これだけ偉そうに話して、バイアスかかってました。笑)
実際のところはどうでしょう。
案件が進むと
・期日は守らない(合意した期日、催促した上で自身で再設定した期日)
・レスは遅い
・承認欲求は高い
こんな感じでした。
聞いてもいないことを言い訳にして、自分のせいではないと言うような立ち回りをする人間でした。
実は打ち合わせでも違和感を感じた瞬間がありました。
聞いてもいないのに、彼がマウントを取れるような内容を説明してきました。(わざと抽象的に書いてます)
変な人だなーと思いながら、進めていましたが
少しでも違和感を感じたら、気をつけたほうがいいなと実感しました。
まとめ
ここまで記載していた内容とずれたことを言いますが、
社会人になってからは肩書きや経歴で人を判断できないと強く感じます。
だからこそ、自身の感覚を大事にしながら、感覚を磨いていきたいと思う。
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