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「発達障害」と「創病」、そして「差別」。

  先程、こんなツイートをした。

 元記事は相模原での障害者大量殺害事件についての考察で、その論旨には何の異論もないのだが、この記事中で出てくる「発達障害」という病名、概念についてはやはり看過できない部分がある。

 正義感が強くて孤児院育ちで時おり突拍子もない行動をしてしまうアン・シャーリーや、日常におけるルールや礼儀作法にどうしても馴染めないハックルベリー・フィンは、発達障害だった可能性がある。イチローとスティーブ・ジョブスはアスペルガーで、黒柳徹子や勝間和代はADHDであることをカミングアウトしているし、米津玄師も高機能自閉症と診断されたことを自身が明かしている。トム・クルーズは学習障害でウィル・スミスはADHD。エジソンやベートーヴェン、モーツァルトにダ・ヴィンチなども、その可能性を指摘されている。

 上は、ツイートで言及した元記事からの引用だが、記事を書いている森達也も、そして彼の対談相手の郡司真子も、彼女の家族もみんな「発達障害」だというのだが、だとすれば世の中は「発達障害」の人間ばかりということになってしまうし、それはおかしなことではないのだろうか?


 そもそも「障害」や「病気」とは何だろう?

     普通に考えれば、日常生活に支障を来したり、本人が苦しんでいる状態が「障害」や「病気」ということになるが、無症状の「病気」もあるし、本人は苦にしていない「障害」もある。

 例えば、糖尿病などの生活習慣病はほとんどが無症状で、本人も苦しくはいないが、検査などである一定以上の数値の人間を健康リスクのある状態、「病気」としているし、それこそ発達障害なども本人自身が困っているというよりも家族や周囲が困ることで診断を受けて「障害」と認定されることが多い。

 そう、変な言い方になってしまうが、結局、「正常」や「健康」ではない状態のことを「障害」や「病気」というしかないし、それは本人とは無関係に、ここまでが「正常」であり、こういう状態が「健康」だという線引きや枠組みよって成立するもの。 逆に言えば、この線引きや枠組みを変えれば、いくらでも「正常」や「健康」の範囲も変わるし、「障害」や「病気」も増減するということになってしまう理屈。

 このように「正常」や「健康」の範囲を狭めることで、「障害」や「病気」を創り出すことを「創病」というのだ。(因みに、これは確立した用語というよりも、製薬企業などが新しい医薬品をつくる「創薬」を推し進める中で、それこそ新しい病気そのものを創っているという批判として使われる言葉)

 「発達障害」も、新しい障害が蔓延し始めたとか、障害を起こす原因や治療法が判ったとかいう訳でもなく、単純に今では「正常」とされていた範囲の子どもを新しく「障害」と認定しただけの話。さらに治療薬なども開発されていることから、この「創病」の一つとして批判されることが少なくない。

 そもそも人間、子どもは千差万別。落ち着きのない子も、おとなしい子も、集中力がある子も、ない子も、勉強が出来る子も、出来ない子も、悪戯ばかりで周囲に迷惑をかける子も…様々な子がいる訳で、それが人間個々の違いであり、「個性」というものの筈。

 事実、今まではちょっと変わった子とか、困った子で片づけられていた子どもを「発達障害」というくくりの中に入れた訳で、大人や学校、社会の都合で「正常」や「普通」の範囲を狭め、それからはみ出した子どもを「障害」であり、「異常」としたことと何も変わらないのだ。

 子どもの多様性を認めることや、画一的な教育をやめること、そして一人ひとりの子どもの成長や学びへの配慮を模索していくことには意義があるが、それが必要になる子どもたちを「発達障害」という枠組みに入れて、「障害」や「異常」としてしまうのは明らかに違う。 これは違いを受け入れる包摂とは全く相容れない排他的な代物だし、それこそ「差別」を生む元凶にしかならないと私は考えるのだが。

 勿論、「発達障害」と言っても多種多様、その程度が違うので、実際に本人が社会生活を送る上で著しく困難な場合には障害者としての援助が必要になるのは言うまでもないが、今のようにそういった支援が必要ではない人間までも「発達障害」として「障害」や「異常」の範疇に含めてしまうのは間違いだろう。

 最後に、私自身のことをいえば、今の分類でいえば私も明らかな「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」に該当してしまう。落ち着きがないせいで授業中に他の子どもや先生に迷惑を掛けたことはあるようだし、集中力や根気のなさは致命的と言ってもいい。だが、私にとってはそういうダメな部分も含めて私の「個性」であって、決して「障害」ではないのだが。

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