【読書感想文】橋を渡る 吉田修一さんー5
歌パワーすごいです。
リレーのアンカーだったのに、ふと思い付きでバトンを回してしまい、
(こちらの企画)
翌日に素晴らしいウィニングラン記事をあげていただきそれが返歌という形だったから
これ、惚れてまうって思いました。
2024年でいちばんキュンとしたよね。
危ないよ、本当歌パワーは凄い。
平安時代は顔も知らぬ男女が詩吟で好悪を決めたというけれど、そういう力があるのだなあ、と、実感しました。
【読書感想文】橋を渡る 吉田修一さんー5
悪人などメディア化も多い吉田修一さん。
しかし、ここで場の空気を白けさせるような あえての独白。
私はメディア化される小説、メディア向けの小説に、あまり関心を示しません。
以前、推理小説の「インシテミル」(淫してみるの意)の映画と小説、双方を観て読んで、二つでまさかの「犯人を変える」という試みに軽く衝撃を受けたのですが、
それくらいの試みをしてくれると、視聴者としては見応えがあるんですけど、作者同権への配慮や原作リスペクトとかで、原作にただ忠実なだけの作品のメディア化に、のめり込めません。
キャラクターのあのシーンが観たい、という欲求に乏しくなったのも、ひとつ原因かもしれません。
さて、橋を渡る、は、ひとつのディストピア小説で、面白かったのです。
ただ、突き抜けた感動は無かったです。
というのは、作者も別に、そこまで冒険しようと思わなかったのではないか?
208×年でラボ育ち・卑民として扱われる響が、同じ立場で、成績が悪く彼より悲惨な境遇の凛と逃亡しようというとき、
「巻き込んでしまって申し訳ない」と言うのを
「むしろ自分で何かを決める事が嬉しい」というシーンに心動かされました。
で、結局、行き場の無い二人は、過去から未来に来た謙一郎の話を聞いて、対馬のある場所に行くと時空を越えられるかも?というので、確証なく対馬に行きますが、
クライマックスは曖昧なまま終わります。
どうやら、前章で送り主不明の米や酒、買い物籠にいれた覚えの無い桃缶が、「響」や「凛」という存在の暗示だったらしい、という事はわかるんですけど、
何故?という説明はなく、そこだけ象徴的。
響が米。
凛が桃。
私は気にならなかったんですけど、後でブックレビューを見ると、その説明が欲しかったというのを読んで、確かにそうかも?と。
全編わりとリアリスティックなだけに、人が食べ物に変わるというぶっ飛んだファンタジー展開が浮いているように感じる、とはいえ。
ただ人のまま過去に逃げてしまうと、新たな物語になり話の纏まりが悪くなるし、かといって死亡すると、彼らの逃亡を祝福したい、過去、つまり「現代」に生きる人の希望の象徴にしたい、という作品全体のメッセージ性に反するのだろうし、消去法で、食べ物にした?
それとも、もっと深い意味があるのか。
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