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平行世界の在り処

外界から切り離された世界。

その世界の住人、主人公セパスチャンたちは、外界からの電波を受信する。

それは、外界の人物からのメッセージ。

「僕の名はセパスチャン。本来の世界に住む真のセパスチャンさ。(中略)握手したいんだ。平行世界に生まれた僕の分身たる君と」


ゲーム『セパスチャンネル』の結末である。


こういう作品に触れると、平行世界に想いを馳せたくなる。

『SPEC』で言うところのパラレルワールド。我々が生きているのとは別の世界。

別の世界に行く“扉”は、発見されていないだけで、実はこの世界のどこかにあるのではないか、とも言われている。

もしもその“扉”が発見されて、人類がそれを開くことがあったら、我々はどうなるのだろう。


この世界……宇宙は、無からビッグバンにより生じたらしい。

別の世界へ移動しようとした途端、元々存在していた宇宙は急速に閉じてしまい、また次の宇宙がビッグバンにより誕生するのかも。

この仮定によれば、別の世界と干渉することは叶わないわけだ。


自分は干渉できない平行世界。

その平行世界は、今いる世界とそっくりなのかもしれない。そして、自分そっくりの人がいるかもしれない。

……それって、自分以外の人の世界とよく似ていないか?


他人からすると、“私”は確かに存在しているのだが、私が思う“私”と、他人が思う“私”には乖離がある。

例えばの話、(私のこと嫌っていたな)と記憶していた人が、めちゃくちゃフレンドリーに遊びに誘ってきたとする。

(あれ? 確かに仲良くはなかったはずだが……。)

私は相手の印象を、自分の頭のなかでつくりあげていたし、相手もまた、そうなのだ。

私と相手の生きてきた世界は確かに同一だし、過去の事実も共有している。

それにもかかわらず、私と全く同じ解釈にはならず、乖離が生まれる。


つまり、他人の世界こそ平行世界なのだ。


例えば、ドラマなどの映像や、小説や、音楽など他人がつくったものに没頭すると、自分の世界を一時的に離れた気分になる。

それは体感的には、まさに平行世界へのジャンプ。

自分の生きる現実を見続けていると、なんだか殺伐として疲れてしまう。

そんな時、束の間他人の世界へジャンプすることで、明るい気持ちになったり、頑張る気力が湧いてきたりする。

ワクワクするような平行世界への鍵は、誰もがうちに秘めているようだ。



※平行世界・並行世界と2通りの書き方があるようです。


【謝辞】藤沢奈緒さんの素敵なイラストを使わせていただきました。