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小倉百人一首を紐解いてみる Vol.0



口伝で紐解く歴史とは

近年、YoutubeやSNSなどの個人が発信できるサービスが普及して、いにしえより代々身内のみに語り継ぐかたちで伝承してきた口伝や古文書という、ほんの一部の関係者のみ知っていた歴史の真実や側面が続々と明かされています。

そして、それらは一般的に知られる歴史というものとは異なっています。
本質として、歴史として後世に残るのは起きた事象の一部の記録しかありません。
公式に認められている歴史の記録というものは記紀などの文献だけではありません。
代々と語り継がれてきた記録もまた存在するのです。

歴史の真実とは本来、その時代に生きた当事者やその関係者たちのみが知るものです。
しかし、今の時代に生きる人々がその当事者になることはできません。また、似た歴史を繰り返すことはありますが同じではありません。
さらに、歴史の編纂も解釈もまた時の権力者の主観によって歪むことがあるでしょう。
しかし、史実は現在に残るもので知るほかにありません。
口伝や記紀を含めた史料というものは、その時代に生きた当事者、関係者たちが責任と役割を担い、現在まで代々語り継がれてきたという重みのある事実により、主観的でありながらも歴史の真実に通じる記録として価値を得るのです。
そして、考古学、地理学、科学など複合的で多角的な視点での客観的な検証を得たものによって、新たな観点が導き出され、歴史を紐解く鍵となっているのです。

口伝や史料など特定の人にしか触れることがないものだけではなく、いにしえから今まで変わらずに存在し残っているものの中に、史実や当時の人の想いが秘められているものがあると思います。
そして、その謎はうまく隠されていて、解く鍵は複雑な構造ではなく、シンプルな構造で、わかる人にはわかる類のもの、決まりごとのような類だと思います。
なぜなら、当時の人々はそれを隠すつもりがなく、ただ当たり前に認識していること、身内での決まりごとを使って読み解くことができたからです。
それが現代には一部の人以外には伝わってないからだと思います。
そして、紐解いてわかる内容はあっけないほど素直に納得できるものだと思います。

小倉百人一首の口伝

古くから変わらず残っているものとして、今回は平安時代にできたといわれる小倉百人一首に着目してみました。

室町時代末期に活躍した長岡幽斎(細川藤孝)の逸話に、以下のようなものがあります。

当時唯一の古今伝授の伝承者であり、関ヶ原の戦いの際、後陽成天皇が勅命により幽斎を助けたのも古今伝授が途絶える事を恐れたためだといわれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/細川藤孝

口伝により継承されていた「古今伝授」は万葉集などの和歌の解釈の仕方などともいわれていますが、たぶん小倉百人一首そのものの解釈も含まれると思います。

記事を書いていて気付いたのですが、内容が良いので参考にしていた小倉百人一首のサイトの、「ちょっと差がつく『百人一首講座』」は"長岡宮"小倉山荘でした。なるほど。

今回は口伝による小倉百人一首の解釈として、第七十三世武内宿禰の竹内睦泰さんの動画を参考にしています。

神武天皇より続く天皇家に近しい側近のうち、武内宿禰が景行天皇の御世に登場してから、つい最近まで(もしかすると現在も)続いた「大臣」として「武内宿禰」の名と役割は脈々と引き継がれていました。
近年になって引き継がれてきた伝承を世の中に出していく流れ。その先駆けとして、第七十三世武内宿禰の竹内睦泰さんが表に出てきたのです。

小倉百人一首の暗号を探る


ところで、なぜ百人一首は「百」なんでしょうか?
たしかにキリの良い数字ですが、その数に暗号があるとしたら?

竹内睦泰さんの第一首天智天皇の動画で「天智天皇」と「持統天皇」が対になっているという説明と、藤原定家は「天智天皇」の系統をたたえるため第一首を「天智天皇」にしたかったとあります。


私は「天智天皇」の系統をたたえるならば他の数にも意味があるかもしれない、と思い至って1から19までの奇数を合計すると100になることに着目してみました。
1から100の数字をピラミッド状にならべてみます。

                            1
                         2  3  4
                      5  6  7  8  9
                  10 11 12 13 14 15 16
               17 18 19 20 21 22 23 24 25
            26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36
         37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49
      50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64
   65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81
82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100

すると、
1,3,7,13,21,31,43,57,73,91の10個の数字が中央になりました。
1,2,5,10,17,26,37,50,65,82の10個の数字が左になりました。
1,4,9,16,25,36,49,64,81,100の10個の数字が右になりました。
それぞれを小倉百人一首に当てはめてみましょう。

中央 1,3,7,13,21,31,43,57,73,91
第一首 天智天皇
秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
第三首 柿本人麿
あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
第七首 安倍仲麿
天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし月かも
第十三首 陽成院
つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
第二十一首 素性法師
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
第三十一首 坂上是則
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に ふれる白雪
第四十三首 権中納言敦忠
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
第五十七首 紫式部
巡りあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
第七十三首 権中納言匡房
高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ
第九十一首 後京極摂政前太政大臣
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

ちょっと差がつく『百人一首講座』

左 1,2,5,10,17,26,37,50,65,82
第一首 天智天皇
秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
第二首 持統天皇
春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
第五首 猿丸太夫
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の声きく時ぞ 秋は悲しき
第十首 蝉丸
これやこの 行くも帰るも 別れては知るも知らぬも 逢坂の関
第十七首 在原業平朝臣
千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
第二十六首 貞信公
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ
第三十七首 文屋朝康
白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
第五十首 藤原義孝
君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな
第六十五首 相模
恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
第八十二首 道因法師
思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり

ちょっと差がつく『百人一首講座』

右 1,4,9,16,25,36,49,64,81,100
第一首 天智天皇
秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
第三首 柿本人麿
あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
第四首 山部赤人
田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
第九首 小野小町
花の色は うつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまに
第十六首 中納言行平
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば 今かへり来む
第二十五首 三条右大臣
名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな
第三十六首 清原深養父
夏の夜は まだよひながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ
第四十九首 大中臣能宣
御垣守 衛士のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ ものをこそ思へ
第六十四首 権中納言定頼
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
第八十一首 後徳大寺左大臣
ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞのこれる
第百首 順徳院
百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

ちょっと差がつく『百人一首講座』

残念ながら、ちょっと並べてみただけではわかりませんでした。
和歌や人物の深い造詣がないと検証は難しいですね。

1から100の数字をピラミッド状にならべましたが、ピラミッド状からひな人形を飾るひな壇状でもあることに気づきました。
ひな壇は天皇と皇后が一番上になりますし、こちらのほうでも検証してみたいですね。

法則性のある2から始まり合計が100になる数列として
差分が1,2,3,4,5,6,7となる2,3,5,8,12,17,23,30がありましたので
2,5,10,18,30,47,70,100はどうでしょうか?

                            0102
                           030405
                         0607080910
                      1112131415161718
                  192021222324252627282930
             3132333435363738394041424344454647
       4849505152535455565758596061626364656667686970
7172737475767778798081828384858687888990919293949596979899100

富士山みたいな形になりました。

2,5,10,18,30,47,70,100
第二首 持統天皇
春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
第五首 猿丸太夫
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の声きく時ぞ 秋は悲しき
第十首 蝉丸
これやこの 行くも帰るも 別れては知るも知らぬも 逢坂の関
第十八首 藤原敏行朝臣
住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
第三十首 壬生忠岑
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり うきものはなし
第四十七首 恵慶法師
八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋はきにけり
第七十首 良暹法師
寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも おなじ秋の夕暮
第百首 順徳院
百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

ちょっと差がつく『百人一首講座』

1,3,6,11,19,31,48,71
第一首 天智天皇
秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
第三首 柿本人麻呂
あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
第六首 中納言家持
かささぎのわたせる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
第十一首 参議 篁
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人にはつげよ あまのつり舟
第十九首 伊勢
難波潟 みじかき芦の ふしの間も あはでこの世を 過ぐしてよとや
第三十一首 坂上是則
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に ふれる白雪
第四十八首 源重之
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 砕けてものを 思ふころかな
第七十一首 大納言経信
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く

ちょっと差がつく『百人一首講座』

連歌になるかなとも思ったのですが。
いや、連歌になっているような気が・・・。
今回の検証はここまでです。

和歌に込められた想いを解釈し現代の楽曲で表現する

和歌の想いを汲み取っていくには、綴った和歌を声を出して読み、人物の背景、使われた言葉や音、歌の構成から意味を感じ、伝えたかった想いを自らに投影するなどしていきます。
なので、昨今、流行りのAIを使って、自分の感じた想いに近しい曲をつくって表現してみました。

想い通りとはいかず現代調ですが、意外と良い楽曲ができましたので公開いたします。
小倉百人一首の連作ができたら、その過程で和歌への造詣が深まると思います。


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