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~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.22 令和5年の祈年祭レイライン
祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)は、毎年2月17日に行われる宮中祭祀の小祭で、その年の五穀豊穣などを祈る神道の祭祀である[1]。
旧暦2月4日に行われていたが[1]、1873年(明治6年)の改暦後は2月17日に行われる。ただし、民間では時期は統一されておらず、北国には3月・4月の春祭りと併せて行う神社もある。
祈年祭(としごいのまつり)は伊勢の神宮の大祭として月次祭、神嘗祭と並んで重要な祭祀の一つです。
平安時代までは天皇陛下が中心となって行った祭祀でもあります。
その年の実りを祈る重要な祭祀はいつごろから執り行われていたのでしょうか。
三輪山からの日の出レイライン上に伊勢の伊雜宮がありました。そしてその先には伊豆諸島の御蔵島があります。
三輪山が大和の中心だった時代、倭姫が伊勢の地にお決めになられた頃より
以前に祈年祭(としごいのまつり)は執り行われていたのではと思いました。
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