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死へのアンチテーゼは料理

知り合いが死んだって、お通夜と葬式の連絡が回ってきた。
ほんの10日くらい前に6月になって仕事落ち着いたらご飯食べにいこーよなんて
メッセージを交わしてたのに。

最初に連絡がきたときはぜったい嘘だとおもって、詐欺のLineかと思ったんだけど、どうやら本当らしい。
嘘だと思ったし、信じたくなかったから、メッセージ打って、それから電話もしたけど、反応なし。いつまでたっても反応ないし既読もつかない。

お通夜もお葬式も行かないけど。行って死に顔見てもつまらない。
本当に死んだんだって確かめにも行きたくない。

祖母だって、母だって死んだんだから、人は本当に死ぬって知ってたんだけど、
友達や知り合いにまだ死んだ人いなかったから実感がなかったのかも。
だから今回、お金もある程度使わなくちゃいけないし、会いたい人には会って、
好きな人には好きって言わなくちゃいけないんだって強く思った。
だって、いつ自分も相手もいなくなるかわからないじゃん。

共通の友達に通夜行くかって聞いたら、その人先生なんだけど、その日は社会科見学があるからどうしてもいけないんだよ、って言われて、すごくいいと思った。
働いてて忙しい、しかも営業の自分みたいに自分の業務切り上げたらいけるとかいけないとかじゃなくて、義務教育の仕事してて、それで変更できない業務があるからいけないって、本当にイケてるやつだなって、子供の頃から友達だけど、やっぱりこいつのこと好きだなって思った。これ本人に言わなきゃ。早く言わなきゃ。
多分わかってくれないけど、はは、そうなの?て笑ってくれると思う。

そんなことが今週あって、今日の土曜日はなんだか気持ちが沈むから、
スーパーで思い切り食材買って、料理する。
料理は無心になれるから。
でも、知り合いの死にヘコんで料理に救いを求めるって、死に対する抵抗だな。
絶対いつか死ぬのに、生きる糧を料理することでそれを乗り越える。
アンチテーゼか。

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