田舎人、でも閉鎖的なのがいや

 過疎地で生まれ育ち、東京近郊の大学に通い、ブラックアルバイトばかりにあたり、怖くなって就職氷河期まっただ中の1997(平成9)年4月からなんとか地元の公務員にありつきました。当時、中高年のリストラが話題になり、山一證券や北海道拓殖銀行の破綻、アジア各国の通貨が激安になって経済が崩壊する国がたくさん出るという暗い暗いニュースが飛び交う中で、役所に職を得たことに本当に幸運を感じたのを覚えています。

 ところがその職場でパワハラという思いもしなかった経験をすることになり、挙句、うつ病やてんかん発作、脳波やwais iii といったテストを受けるとASD(自閉スペクトラム症)であることまで判明するなどし、にっちもさっちも行かなくなり、3年前に22年3ヶ月勤めた職場を辞めました。

 その後、百姓になったはいいものの、退職金をFX詐欺で失って返金交渉している最中です。

 そうこうしていて今日、ふと思ったことがあります。
 「自分は、果たして田舎に向いているのか、それともいろんな場所に行っているのが向いているのか?」
 「自分は、親や兄弟姉妹、むかしからの知り合いもいもいて安心できる環境がいいのか、見知らぬ土地で過ごすのが力を発揮できるのか?」と。

 小さい頃、よくバスで近くの街に行くのが好きでした。小学校高学年くらいになると、自転車で10kmから20km離れた街に行ったこともよくありました。生活圏が狭い子ども時代で、しかも校区を一歩外に出ると同年代のヤンキー化したみなさんがいてたりして、一種の「冒険」のような感じがしていましたが、何かそれが妙に開放感と繋がっている気がしていました。

 案の定、大人になって役所でストレスが溜まると、車や飛行機に乗って大都会に行き、数泊して場末の酒場で知り合った知らない人と意気投合したり、ビル街を散歩して世界の広さを感じ、果ては海外に行って故郷を相対化することでストレス発散をしていたところがあります。

 ただ、それもよく考えると田舎という帰るべき場所があっからこその楽しみで、糸の切れた凧のようになればむかし大学に行ってパワハラアルバイトに恐怖を感じたときのような行き詰まりを感じるのではないかとも思えます。

 今、80代半ばの両親がいて、買い物から小字の張り替えまでいろんな小さなことのお手伝いをしています。この親を見捨てるわけには行かないという思いがしています。今はまだ自活生活できてますが、いつどうなるかわからないことを思うと、親孝行しておきたい思いは日に日に募ります。

 田舎にいると刺激が欲しくなる。逆に都会や知らないところに行くとふるさとの安らぎがこの上なく恋しくなる。どっちかにならんもんかなぁと思うこの頃です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?