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【読書レビュー⑥終】春日武彦「恐怖の正体」

こんばんは。PisMaです。

今日はレビューの最終回になります。
第6章「死と恐怖」。

ついに根源的な恐怖、死について深掘りしていきます。

皆さまは、人の死に立ち会った事はあるでしょうか。知人、親戚、家族。とくに身近な人の死というのは妙に生々しく威圧感があるものです。

かくいう私も親戚が亡くなっています。
少々奇怪な亡くなり方をしたもので火葬が遅れたのですが、その時の異臭…死臭というのでしょうか。あれは何にも変え難い臭いがするのです。
牛や豚の肉が腐食したものとは違う、さらに複雑な有機物が腐食するとこういう臭いがするのかと新鮮味すら覚えたものです。あの臭いはあれ以降嗅いでいません。特別であり、隔絶しています。

著者は「死」についてこう定義づけています。

①永遠。
②未知。
③不可逆。


一度も帰らず、分からず、戻れない。
それは人が理解するには有り余る、とてつもない恐怖です。死んでみることは出来るかもしれないものの、それを試せば誰に伝えることも敵わず、理解することも出来ず、生きている状態に戻ることも出来ない。故に試すことも難しい状態が死だと定義づけられています。

本章の中に「麻酔をしている状態は限りなく死に近いはずだから体験したい」と思い、全身麻酔をした患者がいました。体験後の感想は「無」。
死んでいるときは感覚すら無く、実感すらできない。「非実在」の死と、「実在」の生であったと綴られていました。

非実在。
いてもいなくても構わない、もはや居ないように扱われることは耐え難い苦痛。死ぬことが怖い、生きることも怖い。ただ存在するというのは実は何より恐ろしいことなのかもしれません。
ゆえに、多種多様な哲学や輪廻転生などの宗教は人が抗い難い恐怖を宥めたり和らげたりするために存在するのだと思います。

この話題は深く考えると無尽蔵に鬱屈とするので手短にまとめますと、個人的に「死」とは、本の裏表紙です。親しい人のあとがきを書いてもらえるような、満足感と余韻に浸りながら本を閉じられるような生活をしたいものです。私の本を読むのは、私ではないかもしれませんが。

今回はここまで。
長らくお付き合いいただきありがとうございました。皆様も自分の恐怖やグロテスクなものについて、思考を巡らせるきっかけになれたら幸いです。

お相手は黄緑の魔女PisMaでした。
死ぬまでの実在の使い方。

おやすみなさい。

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