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【読書レビュー④】熊代亨「人間はどこまで家畜か」

こんばんは。PisMaです。

今回も「人間はどこまで家畜か」を読んでいきます。

前回は「真・家畜人」のお話をまとめました。今回は家畜人になれない人々…主に精神疾患を持つ方についてのお話です。

前章では、私たちは昔よりもさらに穏やかに暮らせているという話をまとめてきました。
安全に暮らせるとは、平たく言うと文化や環境を維持しようという力が強くなってきたからと言えます。安全で健康で効率的な社会を維持するために、私たちも他人に配慮し、安全で、効率的であることが求められています。

ではその文化や環境についていけない人たちはどうなるでしょうか。

すぐに手が出る、座っていられない、コミュニケーションがうまく出来ない。これらの状況は現代社会において矯正の対象となっています。もっと細かいものも踏まえると無数にありそうですね。

そも、精神疾患が病気とみなされたのはいつか。

本著によると近世以降に精神医療が発達しはじめ、ヨーロッパ各地で犯罪者・浮浪者を区別せずに精神病者として施設に収容していました。
社会のはみ出し者を対象とした反面で、過去の反省から制度の改革が進められています。

そして、統合失調症やうつ病は古代ギリシアでは全面的に病気ではありませんでした。

「メランコリア(憂鬱)は優れた人間を襲う」という認識がヒポクラテースからあり、負の価値観念でもないようです。
またゲーム障害や読み書きの精神疾患も最近になってから病気と定義づけられたもので、新しい精神疾患はいまだに増え続けています。がんや痛風など肉体的な病は変化せずとも、文化や環境によって病気と判定されるかどうか変化するのです。

家畜化に順応しやすい「穏やかでセロトニンが豊富な人物」にとって現代は大変生きやすいことでしょう。しかし中世くらいの環境が適切という人も存在し、その人にとって現代は耐え難いものになります。家畜化を迫られるのは現代に生まれた子どもたちも一緒で、「野生の人間」として生まれた子どもは手伝いや遊びを通し、協力して生活できる家畜人となるよう教育されていきます。
故にその教育についてこれない「はみ出しもの」が見つかりやすいのが、学校になってきてしまっているのかもしれませんが。

人権や安全が守られる代わりに、野生のホモ・サピエンスではいられなくなり、「文化的な自己家畜化」に沿う行動を求められるようになっています。適応できないものは仕舞われ、隔離され、監視される。行政が助けるのも「文化的な自己家畜化」に沿った対応になるため、どんなに困っていても解決できない人もいるのでしょう。

ここまで読んで、私が学校等で聞いて是とされていた良い学歴や穏やかな生活態度などの評価は、ほぼこの「文化的な自己家畜化」に基づいた方向だったのかと目から鱗でした。
社会模範になることは勿論悪いことではないものの、それに適応できない性質・感覚の者は精神病棟などに隠されてしまうことが多い。それが近世のあたりからずっと続いている事実になんだか気分が重くなるような。

次回もまた読めたらまとめようと思います。
どうぞゆっくりお待ちくださいね。

お相手は黄緑の魔女PisMaでした。
暗いところと明るいところ。

おやすみなさい。

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