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【読書レビュー①】熊代亨「人間はどこまで家畜か」

こんばんは。PisMaです。

ずっと気になっていた「人間はどこまで家畜か」を、7月は併読していこうと思います。
人間が家畜化されていく現象は本当に悪いことなのか?進化生物学の視点から、現代人の家畜化について一緒に見ていけたらと思います。

第1章
「自己家畜化とは何かー進化生物学の最前線」

まず、現代社会の実状から自己家畜化を紐解いていきます。現代とは俯瞰してみると一体どんな様子でしょうか。
野生と比べ、安全で健康で長寿。ちょっと退屈だけどリラックスして過ごせる。体罰や虐待、暴力は法律で禁止され、病気になれば最高水準の医療を受けることができる。

現代日本は、さながら常に保護されている動物園のようです。

ケージで囲われ不自由そうな動物たちに対し、現代人はケージでは囲われていません。しかし毎日学校と職場に通うことが求められています。好き勝手に休むことも許されません。自由にできる範囲でもお金や時間に左右され、はみ出そうものならそれなりの罰や矯正が待っています。

実は形態が複雑化しているだけで、現代人はケージの中の動物と大して変わらない生活を送っています。

しかも栄養が充分で長生きできる環境の整った生物は、繁殖期を迎えて雄と雌が揃ってもなかなか子孫が作れないという特徴があるようです。
物質的には恵まれていても、子を設けにくく、育てられない。現代で少子化が進むのも当然の環境となっているのです。

上記を踏まえ、改めて「自己家畜化」という単語の意味を提示すると

「人間が作り出した人工的な社会・文化・環境のもとで、より穏やかで協力的な性質を持つよう自ら進化してきた、そのような生物学的な変化のこと」

とのこと。
字面よりも案外フレンドリーな響きがありますね。人間はウシやブタなど人為的に生物を家畜化することも出来ますが、人間の生活形態にみずから適応し生物学的に性質を変えてきたイヌやネコといった例もあります。
そして、人間自身も人間に適応するため自己家畜化を行っている証拠が集まりつつある。というのが最近の進化生物学でのトレンド。 

スティーブン・ピンカーの書いた『暴力の人類史』という本があります。人間が地球上に登場してから現代に至るまでの歴史…主に暴力性についてフォーカスを当てた本です。
この本では膨大なデータを集めていくうちに「時代を追うごとに人間の暴力性・衝動性が収まってきている」という記述があります。これは自己家畜化が進んでいる証拠になるのでは、というのは筆者の考え。

嫌になるような事件や事故は毎日ニュースなどで目に入れど、歴史上では事故や殺人はもっともっと日常的なことだったのだと思います。
相対的に見て、最も事件や事故の少ない時代を生きているのだと思うと、なんだか不思議な感じがしますね。

そして一章のなかでかなり興味深いのが、

「文化や環境の変わるスピードが早くなりすぎると、人間自身の進化スピードが追いつけないのでは」

という仮説。ユートピアのような環境が揃った現代では、心を病み社会不適合を起こしている人が溢れかえっています。
一つ時代が変わるごとに自己家畜化がゆっくりと進む肉体に対し、数年単位で目まぐるしく変わる常識や普通に現代人の精神が追いつけていない可能性がある。
今後も現代人の生きづらさとやりにくさにもきっちり目を向けていきます。

本日はここまで。
冒頭から心当たりがありすぎてもう良書確定です。人と荒事を起こさず平穏に暮らしたいと思うのは、もしかしたら現代人が獲得しつつある自己家畜化の賜物なのかもしれないと思うと興味深いです。
また続きをまとめたら更新します。

お相手は黄緑の魔女PisMaでした。
穏やかに、静かに暮らしたい。

おやすみなさい。

次回はこちら。

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