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無季俳句 黄泉のモズ

黄泉のモズ
彼岸より詠め
無季死すや

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佐野勉

季語が重なっています。秋のモズ、春の彼岸。それとも黄泉には季節がないので無季でしょうか?でも無季は死んだのでしょうか?
Guomin Ye

墨の中では、暖かいのは冷たい、冷たいのは暖かい、春秋は只の皮膚の感じた過ぎ去った温度だと、そういう気持ちを込めた俳句を作ろうとしていました。

佐野勉

墨と彼岸は、どんな関係性があるのだろうか?

黄泉のモズとは、何の象徴だろうか?

Guomin Ye

ある日自分では「墨染桜」の墨色の由来は、人々が春の桜の色を書こうや描こうとする時に、自分が墨で生きものを真似する行為が生きる事を汚させ、墨字墨線に堕ちてバラバラする事だと。そして人が書き描く花弁が自分の書く墨の跡でその命の色を墨染させただと、独りよがりの幻視を見た。墨を携わる事は死者の色を生者の黒で汚す事だと、大変残念そして悲哀の事だと自分が思い込んでいました。鳥の件では元々はサヨナキドリを指したいでした。ギリシャ・ローマ神話のピロメーラーと言う姫君が人世の悲劇の末に変化した鳥です。メスのサヨナキドリ鳴けないけれど、わざとそれを引用して「舌のないナイチンゲールが歌う 」のジョン・キーツの英語詩もありました。然しサヨナキドリは夜しか鳴かないのため、自分の無季俳句とは相反する。故にモズの漢字「百舌」を取り、「何処も居る(ここからそこへ、そこからここへの)嘆き声」を指す事でございます。

Guomin Ye

黄泉のモズ

墨(ぼく)より詠めば

無季死すや 考え直した後、これではどうでしょうか?

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