口川瑠衣(くちがわわるい)と言われて。
なるべく優しく、弱い言葉で、オブラートで包むように人と話すようにしている。どのような言葉が人を傷つけるかなど、どこまでいってもわからない。アンパンマンが良かれと思って「僕の顔をお食べ」と言っても、相手によってはトラウマ級に傷ついてしまうのだ。
どんな言葉が相手を傷つけるかは、昔よりわからなくなってきたという。金持ちも貧乏人も同じように、ユニクロを着て、LOOPで移動し、スタバでフラペチーノ手に取る社会では、見た目に金持ちが貧乏かを見分けるは至難の業なのだ。ゆえに、相手によって言葉を使い分けるのが困難になり、誰にも害にならない前提の言葉が増えていく。
例えば最近よく聞く「やらせていただく」「させていただく」などは、「やりました」では相手を傷つけないように先回りして誕生した言い回しである。
「質問よろしいでしょうか?」という、とんちのような質問で質問の許可を得ようとしたり、ただただ忘れていただけなのに「失念いたしました」と、脳みそのせいにするあさましさもまた、誰も傷つけないように生まれた言い回しだ。芸能人にさん付けするのも気持ちが悪い。タモリはタモリであり、タモリさんではない(ただ、タモさんではあるが)。まだ個人にさん付けするならまだしもグループ名や企業にまでさん付けするようになってしまった。「ミスタードーナツさん」というやつがいたが、そもそもミスターに「さん」の要素は含まれている。馬鹿である。「個人の感想です」ってのもそうだ。感想は個人的なものに決まっている。
優しい世の中を目指すべきだと思う。でも、誰も傷つけない態度は、自分は何の責任を持ちたくない、という弱さの現れではないだろうか。そんなツールとしての言葉を使うときは、せめて自覚はしておきたいものである。じゃいと本当の自分の気持ちがわからなくなってしまう。
その昔、私は毒舌だった。最近昔の友達に言われ、少し傷ついた。確かにそうだったかもしれない。毒舌家の芸人が好きで、その影響もあるのだろう。今は嘘のように人に優しく接することができるが、毒舌だった若かりし時よりも、人とのコミュニケーションがだいぶ雑になったような気がする。優しい言い回しは、本音ではなく、脊髄反射的にできるからだ。「なんか痩せたんじゃない?」「俺は好きだなぁ」「気にすることないよ」。。。なんてつまらない言葉たちだろう!!!自分が本当に発しているものなのか。
たまに毒舌家の人が現れると「負けてたまるか!」と、それ以上の毒舌が吹き出してしまうことがある。その度、家に帰って猛烈に反省し自己嫌悪に陥り、疲れてしまうわけだが、思えばただただ饒舌で、口を滑らせているだけなのだ。悪いことをいってやろう!と思っての狼藉では決してない。いつにもまして頭が回転しているだけなのだ。なるべく相手が傷つかないように、笑いながら、毒づき、毒づかれる関係を築こうとしているだけなのだ。それもそれで優しい関係だよなぁとも思う。まぁあくまで個人的な感想なわけだが。
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