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天気のはなし

今年の夏の山小屋帰りに母と車で2人、大袈裟に盛り上がるわけでもなく、でも会話に迷ったわけでもなく、ただ純粋に天気の話をできたのがとてもよかったなと思い出す。

あの雲の形すごいねえとか、空が広いねえとか、そういうことを他人と話し合っても、純粋に「そうだねえ」ってお互いにストンと沈められる感覚ってなかなか訪れなくて、その瞬間を切り取れたときはとてもいい瞬間だなと思う。

社交辞令じゃなく、天気や空を見た感想をポツリポツリと見たものの通りに、気の向くままに話したいなと思う。でもそれを意識しながらするのって難しい。

意識した途端に相手の顔色や反応を伺うという作業が増えてしまい、はては、ああだこうだとウンチクが被さったりと(何かそこから話題を広げないといけないような気分になったり)あたかもそれは、実ははじめから社交辞令だったかのように、純粋に天気や空気や空を味わえなくなってしまう。散歩中に見かける景色に対する感想をただただ言い合う感覚がいつもあればいいのに。

でも、もしかしたらそれは自分の中で完結していればいい素材でもあるのかもしれないし、自分の中で一番しっくりする会話の方法はそれなのかもしれない。

最近は忙しすぎて、自分自身の思考が停止しまいがちだった。自分自身の思考のために割く時間とエネルギーが無さすぎている。

自分のためだけに自分の思考を使えている唯一の時間は、自転車の通勤中。このまま遠くに行きたいときもありつつ、なかなかそうはいかないものだ。特にオチはない。