「おかん」からの処方箋~17年間の闘病日記~②


これから何が起こるんだ?

19歳か20歳ぐらいの僕は
おかんの表情を見て何かを感じ取った。

僕はおかんの表情を察すことができた。
その理由はいくつかある

幼少期のおかんは嫌いな存在

僕は幼少期、母が怖かった。もちろん、優しい面もたくさんあったけど
子供ながらに母の顔色をうかがいながら生きてきた。

小学校低学年の時

夏の暑い日、友達の家で戦いごっこをしていた。
その戦いの中で、友達の体を押した際に扇風機にぶつかって壊してしまった。

家に帰ったら、おかんはおかんの友達とお茶をしていた

扇風機を壊したことをビクビクしながら伝えると

ボコボコにされた。その友達が止めに入るぐらいだ

また、別の時

あれはアニメで「忍空」が放送されていた日、何がきっかけかはわからなかったが

ベルトで叩かれた。軽くじゃなく、あれは本気だった

他にもたくさんある

何がきっかけかは覚えていないが

パンツ一丁で玄関から放り出された。当時は白のブリーフが子供のパンツだったから、
その恰好で、泣きながらドアをたたいて

「おかあさん、ごめんなさい。開けて」と泣きじゃくっていた。

たまたま隣のおばちゃんが、家に入れてくれて事なきをえた。

子供の時の記憶だから、インパクトのあることしかあまり覚えていないが

僕のおかんはこんな感じだった。
今考えれば、マジでくそな母親じゃねーか
と思うけど

それでも小さい時の僕には大好きなおかんだった。

まぁ、8割は普通のおかん

2割はメンヘラくそ野郎のおかん

ってとこだろうか。

これも衝撃だった

僕の家は、15階建てのマンション。その10階に住んでいた。

これも何がきっかけはわからなかったけど、

「死んでやる」と僕らを怒ってから

ベランダから飛び降りようとしたり、まぁ本気かどうかはわからないけど

僕ら兄弟は泣きながら、母の服を引っ張っていた思い出がある。

とにかく、メンヘラだったのだろう。

まだ、いくつか印象的な思い出がある。数十年前の記憶も印象が強いと覚えているものですね。

僕が中学生の時

おかんは荒れに荒れていた。だけど、中学生にもなれば、「はぁ、また始まった」と意外と冷静におかんを見ることができていた。

その日も、「はいはい、また始まったわ」と思いながら相手にせず学校に行く準備をしていた。

トイレに入りおしっこをしていた時、すぐ後ろで

ガシャーンと大きな音がした

さすがに、何や?

と思ってすぐにでたら、トイレの前に全身鏡があったけどそれが割られていた。

そして、母がその破片をもって

「殺してやろうか?」的なことを言って首元近くまで鏡の破片を持ってきたのだ。

これは、さすがにやばいと思ったけど、、、、、

今思えば、僕も何か疲れてたのかもしれない。

だから、「もういいよ、好きにしたら」となげやりに言い放った。確か、そのあと、おかんは破片を手放して泣いていたような気がする。

だけど、僕は相手にせず中学校に向かった。

とにかく、機嫌が良い時と悪い時の差が激しかった。それに僕は本当に疲れていた。

クレイジーな母親とは裏腹に、父親は普通の会社員。

おかんとおとんの関係性は当時はあんまりわからなかったし、喧嘩をしている様子もあまり見たことがなかった。子供に見せなかっただけかもしれないが、、、、、、

ま、そんな感じで幼少期から母親の顔色を伺いながら生活をしていた。

僕が高校性になったころは、メンタル的に落ち着いていてクレイジーさは薄れていたけど、それでもメンヘラ要素は少し残っていたい。

こんな感じだったから

当時の僕は、
おかんから名前を呼ばれて、顔を見たとき

何か違和感を感じることができた。






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