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未来少年コナン感想byニツカその2

わたくし、コナンを最初に見たのが幼稚園に通っていた頃なので、だいたい1988年~90年あたり、3~5歳あたりだと思うのですが、最初にレンタルビデオ屋さんで母が言ったセリフを今でも覚えています。

『パズーに似た男の子と、シータに似た女の子と、ナウシカに似た女の人がでてくるねんけど、見たい?』

パズーとシータはわかるけど、ナウシカは人選ミスじゃないかと思うよ、ママンさま。


第二話「旅立ち」

コナンの嘆き

コナンの嘆きについては見て。もう本編を見て。ごめん見て。と投げ出したいけど頑張る。

おじいは宇宙船のパイロットだったことから、キャプテンか船長か、何かの長だったのでしょう。もっとも仲間意識が強く、これが『仲間がいたから生きてこれた』という発言や、コナンへの『仲間のために生きろ』というメッセージにつながったのだと思われます。
運命の宇宙船は9人の仲間たち(っていうと常に『指輪物語』を思い出してしまうわたしの癖をもう今更どうにもしたくない)を、あてどもない宇宙での緩慢な滅びへ逃げることを許さず、不毛の島へ導きました。そしてその身をもって彼らの希望となり、逃げるな、生きよと示したのでした。

自分たちが不毛の大地にしたと絶望にさいなまれていた、残された人々にとって、草のめばえによる感慨はひとしおだったでしょう。
小さな草の芽が草原になり、小動物、魚、鳥たちへと、命はどんどん遷移していきます。その希望の遷移の頂点となったのが、みんなの子どもたるコナンの誕生だったのでした。
人間が生態系の頂点となる、この考え方はある意味旧くもありますが、一度原始へ戻った彼らにとって、むしろその自然の摂理は喜ばしいものであったでしょう。

ところが、彼ら仲間たちはおじいを残して、コナンの物心がつく前にみな死んでしまいます。墓塔への草の絡みつき具合がどれも大体同じことから考えると、何か原因があって、次々に連続して亡くなったのでしょう。

「伝染病か……食中り?」っておタコ(夫)に言ったら、食中り……って絶句されたので、ここは仮に、伝染病で行きたいと思います。

おじいのつらさは想像するに余りあります。
仲間をみな亡くした彼の救いとなったのが、コナンの存在でした。『ひとはひとりでは生きていけない、いや、生きてはならないのだ。』このセリフには、そんなおじいの悲痛な叫びと希望の光となってくれたコナンへのあたたかな愛情が込められているのです。

ラナの到来は間接的ではありますが、おじいに死をもたらしました。しかし、コナンを残して逝くことに常から絶望に似た気持ちを抱いていたおじいは、それによって希望をも見出すことができたのです。
希望。地球がよみがえりつつある希望、そしてラナのように穏やかに暮らす人々がハイハーバーという島にいるという希望です。ラナを攫った人々が象徴するように、その道が決して平坦ではないことも含めて、おじいはコナンに希望を託すことができたのです。

『仲間を探せ、仲間のために生きろ。』

おじいは、コナンならきっとやってのけると心の底からコナンを信頼し、無責任からではなくこう言えることに、しあわせの予感を感じていたでしょう。

その気持ちはコナンにもしっかりと伝わっています。コナンには難しいことは、今はよくわからないでしょう。おじいも、すべてを語る時間は持ちませんでした。それでも、コナンには、自分に希望があることがよく伝わりました。
そしておじいは息をひきとります。
コナンの嘆き悲しみ方は、大人が見るに、ある意味滑稽ではあるのですが、滑稽であればあるほど悲しく、全身でその悲しみを表現するコナンの姿は私たち視聴者の大きな共感を呼んだことでしょう。

幼稚園児だったわたしは母に、『このシーンは理解できるかなー?』と思われていたのですが、コナンと一緒に、吠えるように泣いていたそうです。えへ。

しかし、大人になって再度見てみて、まあもちろん号泣はしたのですが、悲しみの立ち位置が違うことに気づきました。
子どものころは、コナンの悲しみに主観的に同調していたのが、今は、嘆いているコナンを客観的に見ていて、その心中を慮って泣いているのです。

コナンはおじいにこう誓います。
『ラナを取り戻して仲間を見つけてきっとこの島に帰ってくるからね。』
彼の旅は始まったのです。


バラクーダ(カマス)という名前がいい!

ダイスについてもどう考察したものやら、随分悩んでいました。モンスリーと違って、あいつ悩みなさそうやん。大変動のときに青年くらいだったのかな、男ということもあって、生き延びるのにそれほど苦労もしていなさそうです。
そこで思いついたダイスに与えられた役割とは、『歪んだ大人の象徴』でした。理不尽でわがままでロリコン。まさに歪んだ大人……

ちなみにモンスリー、ナウシカよりもクシャナ似やん。おかーさん人選ミスやん。


純粋なおさなごころの二面性について

コナンは亡くなったおじいを慕わしく思いつつも、島を出る準備を整えます。
帆を張り草原を行くコナンの笑顔は、コナンから希望が奪い去られ、おじいの死による鬱屈だけが残ったのではない、コナンは心から生きることを楽しむ無邪気な存在であるのだという、複雑な現代社会を生きる大人にはない視点を見せてくれます。

そして、とある夜明けにコナンは旅立ちます。おじいの墓、のこされ島に別れを告げ、手製のちいさな船で、太陽に向かって。


とここまでが第二話の感想なのですが、コナンってシリアスやんと思っている初心者の方にこれだけお伝えしたい。
「第三話を、見て。おねがい。」

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