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ある朝

目を覚ますと、窓の外には秋空に降り注ぐ雨が映る。
一定の間隔で地面に落ちる雫の音が起きたばかりの脳内に世界の正常なリズムを伝えていく。

テーブルの上には宅配ピザの食べカスと飲み残した缶ビールが載っている。

いつか遠い北米の寒い土地まで行った時の記憶がふと蘇った。あの時はトリコロールのピザの箱の中にこんもりと粉状のマリファナが悪気もなく載っていた。
マイクはギネスを二缶飲み干した後に僕らにそれを勧めて、僕らは吸う人によって違うらしいその煙の味について話した。
僕はあの時確かRoasted Beacons(燻されたベーコン)だったかRoasted Pineapples(燻されたパイナップル)と答えた気がする。でも、今はもう忘れてしまった。

覚えているのは、マイクが僕ら3人を(2人は大と小のジャパニーズ、もう1人はチャイニーズのAnother Mike)地元のバーまで連れだしてくれたこと。脳味噌がじんじんして、心臓が麻痺しそうなくらい曖昧になっていく感覚の中で漠然と車の外を眺めて、ずいぶん遠くまで来たものだと考えていた。ドライバーはビールで少しだけ顔を赤らめて(彼が唯一見せた酔いの兆しだった)、特別気合いの入ったキースのハッパでハイになりながらカナダの夜道をずんずんと飛ばして行った。あの夜は随分と雑然としていて、世界は無関心でいて冷たくはなく、僕は少しだけの自由と達成感を感じた。


そんなことを思い出しながらキッチンまでしっかりとした足取りで向かう。たいていこういう書き出しの時は酔いが残って足取りは不確かなものだけれど、これはリアルな話なんだ。例えば、洗面台の上で乾いた石鹸にパリパリと音を立てそうなくらいの亀裂が走っているみたいに。

キッチンにはコーヒーがなかった。3缶あるキャニスターを一つずつ開けて、揺らし、底を眺めてみたけれど、小さな黒い粒がさらさらと缶の底で踊るだけで、どうやっても柔らかく苦い甘美さには化けそうになかった。それどころかこの量では泥水だって生み出せそうにない。どうやらここ最近の忙しさにかまけて気づかなかったけれど、少し前に切らしていたらしい。

コーヒーなしに今日が始まりそうになかったので、いつかみた映画を思い出しながら、仕方なくTシャツの上に薄手のジャケットを羽織る。他は起きたままの姿でサンダルをつっかけて外に出ようとしたけれど、思い直して靴下とワークブーツを履いた。もう10月なのだ。雪国では霜くらい落ちているだろう。サクサクとした幼い日の記憶に引き込まれそうな体を現実に引き戻して玄関のドアを開ける。ポケットには財布と携帯電話。時計は身につけていない。迷った末に今日は鍵は右のポケットに入れておくことにした。二つ角を曲がって少し歩いた先にコーヒー豆にたどり着けるはずだ。

いつものコーヒー屋は思った通りの数の角を曲がって、頭の中で思い描いた通りの歩幅を歩いた先にしっかりと存在していた。日差しが入り口に置かれた看板と小さな緑にかかっている。ドアを開くとチリンと控えめに鈴が鳴り、気難しそうな店主がカウンターから顔を覗かせてほんの少しだけ頭を下げた。僕はできるだけ会話が生まれる可能性を所作や言葉の語尾の中でも避けながら、地名が冠されたオリジナルブレンドを200g注文した。めんどうを避けるために挽いてもらい、ざらざらとした紙袋に入れられた茶色い粉からは、ふんわりと柔らかくて優しい匂いがした。

いつもそうだ、同じ道のりなのに、家まで帰る道は往きとは違う道に感じる。帰宅してからのコーヒーのことばかり考えて、あまり足を上げずに擦るように歩いていると、じゃりという音がしていつの間にかアパートの前の砂利道までたどり着いていたことに気づく。地上階、手前から3番目、奥からは2番目の緑のドアの前で止まる。右のポケットから鍵を取り出してドアを開ける。これだけのなんでもない動作でも、行為として行なっていることをなんだか誇張気味にたいそうなことに感じる。

キッチンでは、火にかけていたポットがぐらぐらと湯を沸かしていた。蓋を外して開けたままの状態で砂時計をひっくり返す。黄色い砂が落ちきって3分経つと、湯の温度は80度ちょうどになるのだ。3分後、少しだけ心配になって、念の為温度計を差し込む。赤い針はしっかりと80の値を指している。買ってきたばかりの粉をざらざらとした紙袋から取り出して、ザラザラとしたフィルターに12g注ぎこむ。船で運ばれる麻袋もそうだけど、どうしてコーヒーにはこうザラザラとした入れ物が付き纏うのだろう。
数回に分けて、お湯を注ぐと、やっと1日の始まりを告げる香りが立ちのぼった。

IKEAの薄いベージュのカップに入ったコーヒーを片手に持って、皮張りの黒いソファに腰掛ける。この部屋にTVはない。ソファの前に置いてあるベンチにもローテーブルにもなる脚の付いたウォールナットのかたまりを寄せる。その上にあるブリキの灰皿を引き寄せてウォールナットの隅に置く。ソファの上に落ちていたタバコの箱から一本取り出して火をつけると、苦い煙が青っぽく部屋の天井に向かって登り始めた。

頭の中で名前の知らない音楽が鳴り始めた。

忘れてしまった何かが頭の片隅を叩くようにじんわりと音が響き続ける。

ふと、もう名前も覚えていない人の顔が記憶の淵から立ちのぼった。

彼女と会ったのは、友人の高校の卒業式でだった。彼女は誰に聞いたかも忘れたが、どこかの親のいない子どもたちのための施設から来ていて、随分と若くてこざっぱりしたよそよそしい感じの女と一緒だった。

友人は卒業近くになって、唐突に学校に来なくなった。しばらくの間、連絡をしても誰にも返信がなかったが、みんなが高校を卒業した年の秋口になって姿を表して、高校時代を通じて肌の色が違うことが自分に取っては問題でなくても、他人に取っての問題であったこと、結局はそれが理由で違う学校に転入していたこと、その学校を卒業することになって卒業式が近いうちにあるから出席して欲しいことを僕たちに告げた。

僕らは式の当日、自分たちの入学式よりも意気込んで真新しいスーツで身を固めて山の手まで出かけていった。いまではクタクタになってしまったあのブルーのシャツも当時はまだ糊がきいていて、幼な顔に真面目な雰囲気を足すのに少しは役にたっていた。ネクタイは明るい赤だった。

式には5人ほどの卒業生とその親類とされる人たちが出席者として集まっていた。友人を5人も引き連れて出席していたのは、僕らだけだった。一通り式典らしい式次第が終わると、最後に卒業生がそれぞれの「夢」を語る場面が訪れた。もう友人がなんの話をしていたかは忘れてしまった。おそらくは、家業を継ぐ話をしていたんだと思う。彼女が言った夢ははっきりと覚えている。彼女ははやく大人になりたいと言った。その頃の僕にはそれが一体夢になり得るのかどうかさえよくわからなかったけれど、記念撮影の時にカメラに向けていた儚げで控えめな、でも確かな微笑を今でもこうして思い出す。

それが今でも変わりのないものなのか気になって、スマートフォンからその当時の写真を引っ張り出す。シャツを捲り上げて笑顔でボウリングをしている僕ら自身の写真の少し先にあの記念写真があった。指先でタップして拡大すると、それはそこに変わらずにあった。

はやく大人になりたいと言った、あの微笑。

灰がソファに落ちたことに気付いて、タバコを灰皿の上に押しやる。コーヒーはすっかり冷えていた。

窓の外で、世界は正常なリズムで1日を始めた。

これが僕が忘れていたことだったのだろうか。




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