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ハーフ成人式を迎えた長男へ

10年前の今日息子(長男)が生まれた。

10年前の7月3日、難産の末生まれた息子は、ゆっくりと親に抱かれる間もなくNICU(新生児集中治療室)に入った。その小さな体に沢山の管をつけられた姿を見て生まれてきてくれた嬉しさ半分、「どうか無事でNICUから出てきてくれ」という不安な祈るような気持ち半分で初日を過ごしたことは10年経った今でも鮮明に覚えている。

初めての出産を終えてほっとする間もなく不安な顔しながら隣で見守る奥さんの気持ちを考えたら「オロオロしちゃいかん!」と自分に言い聞かせ、ぎこちなくも旦那らしくいようとした私はとても不自然で格好悪かったと思う。

この日のことは決して忘れることは無い。無事にNICUから奥さんの腕の中へ戻って来てくれた日のことよりも印象的だ。

「広汎性発達障害」

しかしこの日と同じくらい忘れられない日が私たちにはある。それは1歳6か月児健診時に発達障害の可能性を伝えられ、それから約1年半後の3歳の時に「広汎性発達障害」であることを受け入れることになった。

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広汎性発達障害」とは、簡単に言うと【対人関係およびコミュニケーション能力の障害。行動がパターン化してしまう。強いこだわりを持つ】などの特徴がある。

最初はショックで受け入れ難く、辛い日々でしたが結局は息子の楽しそうな笑顔や難しい顔して新たなことにトライしている姿、そして私たちの腕の中で眠る可愛い寝顔を見ていたら、息子と奥さんと過ごす時間を少しでも増やし楽しくコミュニケーションを取っていくことに人生をかけていこうと決意することは簡単なことだった。

息子(家族)との時間を作る

というか発達障害認定されるまでの私は所謂「仕事は残業残業の毎日で、家庭のことは奥さんに任せっきり」の典型的な仕事人間?だった。周囲の子供達と「何か反応が違う」我が子の子育てを1人でしていた奥さんには今でも本当に申し訳ないことをしたなと思っている。

仕事を辞め、家でも仕事が出来る体制をお客様のご協力とご理解もあり作ることが出来たため、そこからは可能な限りの時間を家族と共有し発達障害と向き合って過ごしてこれた訳です。

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「パパ・ママ」と顔を見て言ってくれた日

本当にあっという間の10年でした。毎日幼稚園・小学校(支援級)とデイサービス(児童発達支援施設・療育施設)と障害を持ちながらも楽しそうに時には嫌々になりながらも通う息子を奥さんと共に応援してきた毎日。「パパ・ママ」ときちんと言葉の意味を理解して、私たちに言ってくれたのは10歳の、10年の半分の5歳の時でした。嬉しかった。中々「パパ・ママ」と呼んでくれないことが心のどこかで寂しかったんだろうと思う。

20歳になるまでに

今では毎日ニコニコ笑顔で、「パパ・ママ」と話しかけてくれる息子が見られるだけで幸せですが、20歳までのこれからの10年、1人の大人として障害を抱えながら社会に向かう息子に今度は「パパ・ママ」だけでなく一人でも多くの友人の名前が呼べるようにお手伝いと応援をしていくことを新たに決意したいと思います。

こんなにも、私に「生き甲斐」を与えてくれた息子と奥さんに感謝しかありません。生まれてきてくれて、生んでくれて本当にありがとう。

10歳のお誕生日おめでとう!!


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