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褒める・同意する・代返する育児 幼稚園時代(4歳~6歳)

自閉症スペクトラム障害(ASD)

発達障害といっても1人1人特徴が違いまして、我が子は「広汎性発達障害」下記図の自閉症スペクトラム障害(ASD)にあたる。

(参照:LITALICOジュニア様)

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自閉症スペクトラム障害は先天的な発達障害の1つで、特徴として
①社会性と対人関係の障害
②コミュニケーションや言葉の発達の遅れ
③行動や興味の偏り
の3つがあるといわれている。

めっちゃ素直

息子は、健常者のご近所や同級生のお子さんと比較しても、素直すぎるくらい素直で「約束事」「ルーティン化」されていることに関しては正確に物事をこなします。逆に「いつもと違うこと」が突然行われたり、「急な予定変更」がとことん苦手。ですので事前に「何をするか」を伝えておけば聞き分け良く本当に良い子(若干親バカ)。もちろん苦手なこともありますがそれはまた別の機会に。

一人で遊ぶことが超得意

2人で話をしても、視線を合わせることをせず、周囲で遊ぶお友達にもほとんど興味を示さない息子。「一緒に積み木をしよう」と誘っても自分のペースで出来なかったり積み上げたものに触ったりすることを嫌がります。幼稚園に通ってもお友達と遊ぶより一人で遊びたがる。まだ発達障害を持つ子供との付き合い方がわかっていない未熟な親である私たちはこれがとても心配で心配で仕方かなかった(汗)

絵本の読み聞かせをしようにも自分の好きなページを見る以外こちらの読んでいる内容を聞くことはなくお気に入りの絵の部分を楽しそうにみていたり、人形やぬいぐるみを使って、コミュニケーションを取ろうと試みても、沢山のぬいぐるみを並べて、スマホやデジカメを見様見真似で使って写真を撮ることにはまりはじめる。教えてないのにやり始めた時はびっくりしました。よく見てるな~(汗)

私は一緒に遊びたい(遊んであげたい)、息子は一人で遊びたい。なんとなく一人で遊ばせることが「放置」してるみたいで後ろめたかったのかもしれない。コミュニケーションが取れてないと思っていたのかもしれない。息子のことを考えているつもりになって、無理強いしていたことに気が付けなかった。自己満足に近い感覚だったと今ならそう思える。

褒める育児

今の段階(幼稚園時代)では、一緒に色々と遊ぶことは難しいかもしれないと思い、例えば積み木をやっていたら隣で「上手だね~!すごいの作れたね!」などと褒めてみたり、写真を撮っていたら「可愛い写真が撮れたね!」などと息子の遊びを見守り褒めてみたら、今までになく嬉しそうにしていた。返事がある訳ではないし、目線を合わせてくる訳でもありませんが、表情と行動でいままでと違う「嬉しさ」が表に出ていることがわかった。これは大きな変化だ!

その日から息子の遊びの時間を「一緒に隣で過ごす」ことができたのです。今はこれで十分だと理解した瞬間でした。隣に私達がいることを嬉しいと思ってくれていることが私達もたまらなく嬉しかった。


同意・代返する育児

身の危険や周囲に迷惑がかかる行為に繋がるようなこと以外ではなるべく叱りません。なぜかというと少しでも声色が変わると先回り気味に「ごめんなさい!」と謝ってきてしまうのです。先回り過ぎて可愛くなって叱れないことも(もしかしたら、したたかなのかも?w)。

言葉の発達が遅れているため、自分の意思を言葉にすることがとにかく苦手で、「何が食べたい?」「何がしたい?」「何が欲しい?」などの質問にも答えるのが苦手。絵や写真を見せながら「どれが食べたい?」と一つ一つ私達が指で指して反応をみて「これ美味しそうだね~」とか「うどんが食べたいんだね~」など同意してあげたり息子が言いたいであろうことを代返してあげると表情が変わる(伝わったと感じる?)のでそれを繰り返すうちに「ラーメン!」「ハンバーグ!」などと単語ではありますが、意思を伝えることができるようになってきた。伝わりづらいことも察することで私達がカバーしてしまっていることもまだまだありますが。

返事を待つ

褒めたり・代返したりした後に、「反応が無い・反応がわからない」時に間を開けずに「ラーメン?」「うどん?」「パスタ?」など聞いてしまうと最後に言った単語をオウム返ししてしまうことが多い。ありがとうを言うタイミングで言わなかった時やさようならを言わなかった時に「ありがとうは?」「さようならは?」のあとにもう一度「ほらほら」などとせかしたり「ありがとうでしょ?」などと繰り返すと、追い込まれた感じになり口をきかなくなってしまう。とても反省。若干間は空いてしまうのですが、少し待ってあげるときちんと「ありがとう」と言えることが多いです。同じように質問に対しても少し待ってあげればなんらかの反応があることが多いので、ゆっくりと見守り続ければ「自分の意志」を引き出せることがわかってきた。

親も学ぶ

「どうしてわからないんだろう?なんで伝わらないんだろう?」この考えがあるうちはなかなか上手くいかなかったなと今振り返れば思う。コミュニケーションが取れないことを悩んでいましたが、そもそものところ「コミュニケーション取れれば健常者と変わらない」ので、そこを悩んでも何も進まないことにすら気が付かなった(汗)気が付けたのはいつもいつも同じところ。それはやっぱり息子の「笑顔」明確な言葉でなくてもお互いの意思が伝わった瞬間は嬉しく達成感がある。健常者と同じように出来なくても「引け目」に思うことなく「障害と向き合う」「障害と付き合う」単純にここを基本としてスタートしないと負のスパイラルに落ちてしまう。

健常者と同じように生活させてあげたいとは思うし目標ではあるけれど、人それぞれに個性があるように障害をきちんと受け入れ少しでも楽しい人生を送ってもらえるようにお手伝いをしていくことが親のやるべきことだ。

会話に至る可能性

かといって、言葉でのやりとり、つまり「会話」をすることを諦めた訳ではもちろんない。私達が「感じる」「察する」ことがメインのコミュニケーションだったものが、今は定型文のような決まったやり取りですが、「キャッチボール」にはなってきている。例えば「息子:お茶(をコップに入れて)ください!」「私達:どうぞ♪」「息子:ありがとう!」このようなやり取りです。一見普通ですが、「お茶ください」は言えるけど、「チョコください」はまだ言えないんです。この2つは似てますけど息子にとっては全く違う言葉。つまり応用がきかない。それでも今はこの定型文が増えていくことに今後の手応えを感じている。





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