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人は、人のどこをみているのか。

最近めーーーーーーーーーーっちゃ嬉しかったことがありまして。


こうやってちょこちょこnoteを書いているわけですが、

FBやインスタやTwitterと違って、

”スキ” ってあんまりつかないわけですよ。


大体の人は読んでくれて、そのままなので、

閲覧数とスキの数が比例しないというか。

それはそれでいいんですが、

”知人の誰が読んでいるか”も見えにくいんですよね。


そういった中で先日、

思いもよらない方からふとメッセージをいただきまして。

”note読んでますよ”という内容で。

「マジか」とビックリしまして。


僕の中で「これについて書こう」と思った時は、

大体「あの人に読んでもらいたい」と思いながら書くんですが、

今回メッセージをいただいたのは、

到底読んでないであろう、

というか

僕の事覚えてくれているのだろうか

くらい思っていた方でもあり。


それだけに唐突な驚きとうれしさがあって、

「知らないところで人は見ているんだな」と

実感する出来事でした。


これ今まで書いてきて何回かこういうことはあったんですが、

それがどれも「あの人は読んでないやろな」

って人から連絡いただきまして、

本当にありがたい限りです、ありがとうございます。


今日はそんな中で感じたことをシェアします。




意識すること

あなたが小学生だったとしましょう。

男性なら特に共感いただけるかと思うんですが、

学校で好きな子がいたとして。

ちょっとでも意識してほしくて、

何かしらの方法で振り向かせようとしますよね?

積極的にしゃべりかけたり、

はたまた小学生ならいやがらせしてみたり、

あえて「嫌い」と言ってみたり。


例えば体育の時間、

運動できるとこ見せようとめっちゃ張り切って

持久走を死ぬほど追い込んだり、

サッカーでめっちゃ声出してみたりとか、

リーダーに立候補したりとか、

その子に見てくれと言わんばかりに、

めちゃくちゃアピールするわけですよ。

これ、めっちゃ意識してるじゃないですか。


でも実際は、男子の健気なアピールを、

その子はそんなに見てなかったりするんですよね。

こんなに頑張っているのに。笑

一方で、自分が全然意識していない

何気ない友達と遊んでいるところとか、

授業中のふるまいとかを見てくれてたりして、


実際好きになってくれたとしても

自分が意識していたこと以外の部分

だったりするわけですよ。



仕事とかもそうだと思うんですが、

「自分のココを見てほしい」

「ココが強みだ」

と思っている事よりも、

実際はまったく意識してなかった事をほめられる、

みたいなことありません?


僕の場合、

「話をしっかり聞くね」

って言われたいと思っていたんですが、

実際は

「話すの上手だね」だったり。




自分の無意識が見られている?

話を戻しましょう。

つまり言いたいことは、

僕は”誰か”を意識して文章を書いているわけですが、

実際その人に届いているかは別として、

予想だにしていない他の人に届いているのは事実ということ。


広げると

もちろん自分がめちゃくちゃ意識していたことが

そのまま評価されると嬉しいわけですが、

実際は

自分がめちゃくちゃ意識している事以上に

その取り組んでいる姿勢

日々何気なくやっている挨拶

人への気配り


そういった無意識レベルでの行動が、

一番人に見られているんではないかということです。



じゃあ人が見ているであろう

無自覚、無意識で行動している事に、

どうアプローチしていくのかって話になるわけですが。


例えば「元気な挨拶をしよう!」でも、


これは意識して行動してを繰り返し繰り返して、

初めて無意識レベルでできると思うんですね。


自転車乗るのと似てるのかなと。

最初は補助輪が外れる事すら怖かったのに、

一回乗れるとその先意識してなくても乗れるっていう。


意識して意識して、

無意識でできるレベルに行きましょうってことです。


そうなると、毎日のルーティーンだったりも、

何気なくやっていることを

見直せたりもして行けますよね。


「必ず誰かが見てくれている」は、真実だろうと。

そう思います。




今回のタイトル画像も、

「こう見られたい」を意識してチョイスしたわけですが、

きっと別の部分を見られているんでしょうね。



良き毎日を!

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