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何度負けても弱くってもいい

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で13人目の御家人が登場しましたね。市原隼人さん演じる八田知家はったともいえ

八田知家が築いたといわれる小田城に自転車旅行で行ってきました。

1987年に廃止となった筑波鉄道線跡をサイクリングロードとして整備した、「つくばりんりんロード」の土浦近くにあります。「小田城跡歴史ひろば」の案内所は、小田氏15代400年の物語を歴史絵巻風に再現してあります。

八田知家が1185年に築き、それから370年後の戦国時代に奮闘した子孫である小田氏治(1553~1602)が興味深い生き方をしています。

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鎌倉時代から続いている名門の15代目の御曹司、氏治うじはるさんはこの小田城を敵に何度奪われても、その度奪い返した不屈の人ですが、弱いんです。戦国最弱と言われています。

ご近所さんの結城家ゆうきけ佐竹家さたけけや、北条氏康ほうじょううじやす、軍神上杉謙信うえすぎけんしんを敵に回しながら負けても、命を落とすことはなく生き抜いています。

小田城を9回落とされ、8回取り返し氏治うじはるさんは、豊臣秀吉の「小田原攻め」の隙に、また小田城を取り返そうとしました。この時は佐竹軍が小田城を守ってました。

奮戦しましたが、小田城奪還計画は失敗に終わりました。

「小田原攻め」で秀吉のもとに参戦せず、豊臣側の佐竹家を攻めてしまったので氏治さんの領地は没収され、鎌倉時代の八田知家はったともいえから約400年続いた小田家は滅亡に至りました。

その後、結城秀康ゆうきひでやす(徳川家康の次男)に家臣として迎えられます。秀康の側室に氏治さんの娘の一人が嫁いでいたからです。

そして、秀康が「関ケ原の戦い」の功績で越前(福井県)へ加増転封かぞうてんぽう(領地・禄高ろくだかの増加で国替え)となると、氏治さんもこれに従いました。その翌年、越前で没しています。享年71でした。

戦下手なのに、負けても、負けても、しつこく領地に固執し奪い返すまさに不死鳥の氏治さん、ユニークで愛嬌すらあるような気がしてしまいます。本人は必死なのに、すみません。

連敗だから、弱いからが彼の魅力なような気がして。

こういう人好きだな。

氏治さん、いいな。

みんなは、天下をとろうぜ!と躍起になっているのに、自分の領地を守ることに一生懸命で。とられたら、とりかえす。9回とられて、8回奪還!!でも
弱い。

乱世を生き抜き、あの時代に71歳まで生き畳の上で亡くなったってことは勝ちだと思います。

何度負けても、弱くっても生きることは勝ち!!

氏治さんのご先祖様である、八田知家(市原 隼人)の今後の活躍が楽しみです。

小田氏治さん 10001回目はなかったけど。


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