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北京留学13日目~もろもろ

今日から授業。午前中しか授業がなく、とても暇だからあまり英語も話せないけど「Contemporary Chinese Society」という授業を取ることにした。現代中国社会……ちょ~楽しそう。

昨日は日本人留学生の新歓があったと書いたけど、そこで思ったこととか私ってこういう人間なんだとなとかいろいろ感じたのでそれを今日は書く。

結局人生金なのか

高校くらいまでは人生頑張ればどうにかなるんじゃないかと思ってた。

人生で大事なのはお金じゃないよとか、お金があっても幸せになれないって、お金がない人が言った言葉なのか。

勉強したいとか、留学したいとか、どこかに行ってみたい、体験したいってお金がなきゃ達成できない。そもそも向上心とか外に対して興味を抱く心の余裕とか教養ってある程度のお金がないと持てなくて、その時点でお金の有無って関係するよなと思う。

大学に入ってから家がお金持ちの子はバイトせずに旅行に行ったり遊んだり、私みたいに奨学金を返さなきゃいけないんだと思うことなく生きているんだろうなと思ってしまって、そういう人達が羨ましくて仕方がない。人生頑張ってもベースが違うとかなり道のりハードモードだよなと思う。
私のほうが真面目に生きているのにと思ってしまって、こうやってお金に固執している自分もちょっと嫌だったり悲しくなったりする。

お金があればやれることがたくさんあった。
留学も一年、二年行きたかったし、別に大学5年生になってもいいやと思えた。奨学金も借りたくなかった。大学院もすぐに行こうと決めただろうし、こうやってお金のことばかり考える必要なんてなかった。学期ごとに学費の免除を申し込む必要もなかったし、パン屋でバイトして食費を浮かすこともなかった。その分いろんなところに出かけたり、遊んだり旅行したり経験を積んだり、中国語をもっと勉強するために孔子学院に通ったりとか、いろんなことが出来たんじゃないかと思う。

結局人生金なのか。

私の話をしているの

だからと言って、親を恨んでるわけじゃない。
母は、私を一生懸命育ててくれた、本当に世界で一番大事な人。

母も人生いろいろな苦労をしているし、でもいつも私を見ていてくれるから恨むなんて全くなくて母の子で良かったと、広い世界のどこかから母の子としてこの世に来られて良かったと思っている。

母も、もっとお金があれば良かったなと思う人生だっただろうから、この話を理解してくれるだろうけど、絶対に言いたくない。お金がもっとあれば良かったなんて。母を責めたり恨んだりしているわけじゃない。お金があればと思っている自分が一番憎くて悲しいのに、でも今は私はまだ子どもで、母のおかげで生きているからお金のことを伝えれば多分母はごめんねと言うから。

どうしようもない悔しさと悲しさ。ときどきこういうことで苦しくなるからnoteに書くけれど、みんな同じだよって感じなのかな。みんな同じって言ったって、私は私で、私の苦しさとか気持ちとかは他の人と同じにしてほしくなかったりする。みんなの話をしているのではなくて、ここでは私の話をしているの。わかってほしいけれど、みんな同じだよって一言でくくってほしくはない、わがままなのかな。

負けたくないです

でも私は日本国民なので、日本の法律とかルールに従うしかない。資本主義だし、みんな一緒にナカヨピってわけでもないから、金がないなりに頑張らなきゃいけないんだと思う。マジ人生ハードだな。

でも他の人とか、自分の置かれた環境とかに負けたくない。人生、一番楽しく生きたい。こうやってお金のことで悩んだり、間違ったり転んだりしてマジつらい~って思ったり、成績良くてハッピーとか、ゼミの先生が優しくてうれし~とか、そういう上がり下がりを自分の心の中に入れて、まとめて人生振り返ればオールオッケー!&ハッピー!みたいな感じで死にたい。

いつもの流れ

このお金とか人生について悩む

でも私って元気だし人に恵まれてるし生きてるし成績は良いし頑張ってるのでは?

死んだときに思い出したらこういう人生マジ面白いよな~

じゃあとりあえず上がり下がりがある人生楽しも~う
そしたら人生勝ちでしょ!(何に勝つかはわからない)

いつもこういう思考回路を繰り返している。私は毎回こうやって悩むけど最終的には元気だし、まあ他人は他人だし、私の人生は私以外の人の手に渡らないから自分でどうにかするしかねーなと思う。人生ハードモードだけど、やるしかねーなと思う。うんにゃ~~!!

理来ちゃんファイト~~!!

ちょろい女子大生の川添理来です。