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自分らしく生きろ


23年しか生きていない僕なりに「人生の在り方」についてよーく考えてみたので、以下にまとめてみたいと思う。

これまでの人生について振り返ってみると、自分でいうのもあれだが、まあまあ面白い人生を歩んでいると思う。成功体験よりは、あの時、こうしていればよかった。とかなんでこんなことをしてしまったんだろうという後悔の方が圧倒的に多いけど。そんなの当時の僕にわかるはずなんてなくて、未来の僕つまり、今の僕にしかわからない。でもまあ、自信を持って面白い人生を歩んできた!と言える。

これこそが人生のありかたとして素晴らしい形なのではないかと。思った。なんだ、自分の過去を肯定しているキモいやつやん!って思う方もいると思う。それでもいい。そういう考え方もアリだと思う。一瞬でもそう思った方は恐らく、ブラウザバックしてもらい、他の為になる記事を読んだ方が有効な時間の使い方であろう。

さて、これまで、僕は小学校・中学校・高校、大学と「周りと競い合い、勝利することがあるべき姿だ!」ということを叩き込まれきた。そして、その「戦い」に悉く敗戦してきた。敗戦の記憶が多すぎて、勝ったことが思い出せないぐらい多くの「負け」を重ねてきた。

例えば、中学校の頃。学校の成績は学年で下から3番目。振り返ったら、後ろに2人しかいないのである。もうこれは逆にすごい。上位10人に入ることよりもすごいことである。こんな成績をとっていたもんだから、担任の先生から親と一緒に呼び出され、3者面談までした。中学で野球をやっていたが成績が悪すぎたからか、顧問からは嫌われ、自分よりも圧倒的に下手くそなやつ(客観的にみたらうまいのかもしれない)が使われ、練習試合にも碌に出れないポンコツだった。そんな周りからみたら「うわぁあ、かわいそう。」と一見思われそうな状況であっても、僕は「楽しかった」圧倒的に充実していた。慕ってくれる友達とバカなことしたり、熱中していた趣味、小学校の時と比べて、行動範囲が広がり、できること、見える世界が広がっていた。

大学に進学した時もそうだ。高校の友達はみんな頭が良くて、進学先は皆、早稲田、慶應、有名国公立、MARCHなどみんな「すごい大学」に行った。そんな中、僕は「日東駒専」のランクの大学にいくことになる。

頭が悪かったなりに受験を頑張って、合格したところがそこだった。周りの友達からは「おめでとう!」よりも「浪人するの?」の言葉の方が多かった。確かに周りの友達からみれば、僕のいっている大学なんて大学ではないのかもしれない。でも、僕にとって、これまで勉強をサボっていて頑張って切り開いた「自分だけの道」だった。ごめんなさい。少しカッコよく言い過ぎました。

そんな思いがあったからか、浪人する選択をやめた分、有意義な時間の使い方、大学生活を必ず充実させようと入学式で決心する。この決断が僕の人生を大きく変えた。

勉強もものすごく頑張り、入りたいゼミに入った。そして、ゼミの先生と出会い、「海外の魅力」を知ることになった。世界一周をすることを決意することになるのである。

このことをみんなに打ち明けた時も、皆自分基準で「死ぬよ!?1?」とか「就活どうすんの??」とか彼らなりの心配なのか、否定から入る。「いいじゃん!!めちゃくちゃ面白そう!」とか「いいな〜行きたいな〜」とか言ってくれる人はものすごく少数だった。

そして、旅に出て、無事に終わり帰ってきた。(ものすごくすっ飛ばしました)

旅をしている中で、これまで感じてきた自分の違和感が確信へと変わった。

人生は「他人と争うことで充実をはかるのではない」ということである。


旅の中で、自給自足の生活を森の中で行い家族5人で幸せそうに暮らす人、お金はあまりないけれど、僕と同じ「旅」に人生を捧げ自転車で世界一周しているおじさん、アフリカのスラム街という日本にいては想像できないような環境の中で暮らす子供たちなど多くの環境の違う人たちと話す機会があった。彼らに幸せかどうか聞くと、「もちろん、幸せだよ」と即答された。明日、食べるものが約束されていないし、トイレだって人目を気にして夜するしかない人たちも皆「幸せ」だと答える。その理由を聞くと、「好きなことが出来ているから」だそうだ。

そんな人達と話していると、自分の置かれている環境がバカバカしく思えた。他人に勝つことが正しい在り方だという認識を擦り付けられていた。そう考えてしまっていた自分が本当にバカだと思った。

人生における主人公は常に「自分」なのであり、幸福なんて人それぞれである。その自分にしか過ごすことが出来ない「人生」を他人とのつまらない競争で浪費させるのは非常に勿体無い。そう思えた。

もちろん、競争を生きがいにしている人だっているし、競争がないと自己成長しないとも考えられるから競争することを否定するわけでない。寧ろ、競争は自分にとって必要だとも思える。

でもその競争の意味を捉え間違い、人よりもいい企業に就職しようとか、周りからすごいと思われる大学、仕事をしようという思いが強まって「自分の本当にやりたいこと」を見失わない人生を歩みたい。

他人の人生と自分の人生を比較して、訳もわからない第三者から「羨ましい。」「すごいね!」と言われることが幸福だと思いながら過ごしているのは本当につまらないと僕は思う。

ただこういうことを言っていながらもこうして人1人の考え方を否定してしまっているから僕はまだまだである。

ただ、おもうのは、

「自分のやりたいことをやり、それを叶えたその先に周りから尊敬されるようなその人なりの凄さ」があるということ。

是非、周りの目や期待などに囚われず「やりたいこと」をやって過ごせる人生にしていこう。やらない選択を選んだその先が何よりも怖いということを今だから胸を張って言える。

1年前に世界一周を「やる」選択をして本当に良かった。あと、1年遅れていたら、コロナでやることは確実に不可能だったし、今回の旅で出会えた人とも出会えなかった。


こんな時代だからこそ、人生楽しもう。


ゆうき













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