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自分の価値観・モチベーションを言語化する

「自分のやりたいこと」「人生の目的」などと聞くと、正直胡散臭く感じることがある。なぜなら、「自分のやりたいこと」なんて改めて考えなくても本能的に感じるものだろうし、存在に先立つ「人生の目的」なんてないと思っているからだ。

何にせよ、自然に任せ、特に人生の目的など定義せず、自分の本能に従って生きていれば、それでいいではないか。

一方で、この社会で労働者として生活をしていると、少なくとも今の僕の価値観では、一日中本能に従って生きるというのは難しく、一定の生活を維持するため、あるいは価値観を異とする人たちとの社会生活を維持するため、ある種の非本能的な「義務感」のために時間を割いていることもある。

そのように半分本能、半分義務感という塩梅で生活していくうちに、「あれ、このままだと、自分の本能に時間を割くハードルが前より上がってるんじゃないか」と感じ始める。資本主義社会で労働者として生きていく場合、漫然と生きていくと歳を重ねるごとに(希少性を維持あるいは向上させねば)労働価値は下がっていくだろう。そうすると、なおさら将来の労働価値を維持するために目の前の仕事を頑張らねばならない、という義務感が生まれる悪循環となる。一方で、歳を重ねるごとに体力や筋力、知力、しまいには気力も衰えて、「何かをしたい」というモチベーションも薄らいでいくだろう(老後に大金を持ってても、それを使う気力と体力がなければその大金に価値がない)。

というわけで、今のうちに自分の本能、言い換えれば価値観・モチベーションの継続的実現に向き合うために、いわゆる自己啓発系の本を読むことがある。

最近知った本だと、以下の二つがある。

どちらも、自分の過去の経験や現在進行形で感じていることなど、さまざまな質問に答えに答えることで、自分が実際にどういう人生を送ってきたかを振り返り、様々な行動や経験の共通項から自分の価値観を抽出するメソッドという点が似ている。

具体的にどんな質問で、自分の結果がどうだったのかはここでは載せないが、どちらの本でも共通して、自分は以下のことに価値やモチベーションを感じていると、改めて実感をする。(「新たな発見」というのは正直なかった、あくまで再発見、という具合である。)

つまり僕は幼少期から、新たな出会いにワクワクし、刺激的なことに挑戦し、美や感動・達成感を表現して他者の心を動かし評価されると同時に、適度な繋がりを持ったコミュニティの中でワイワイ楽しむことに強い価値観・モチベーションを持ち続けている。なお、ここでいう「新たな出会い」は、人との出会いはもちろん、初めてのお店や街や土地、普段は見れない生き物や景色、なるほどと思う価値観、新たな知識、古代の暮らしの仮想経験、肉眼とは異なる焦点距離での世界、様々な生物の感覚器官が感じとる世界など、ありとあらゆるものを内包している。

ということで、平均的にはあと50年ほどある人生の多くの時間を、気力も体力も知力も徐々に衰えていく前提で、上記の価値観・モチベーションに満ちた生活を過ごすことができる手段を定期的にアップデートし、生活に適応していきたいものである。

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