経済発展度合いと挨拶文化についての雑考

前回の記事では、タンザニアの居心地の良さについて触れ、その理由を「コミュニケーションが活発だから」だと述べた。

見知らぬ人とでも挨拶をするのが当たり前の環境が心地よいのだ。

これはタンザニアという国の地理的・文化的特性もあるのだろうが、経済的な側面もあるのではないかと思っている。どういうことかというと、同じような経済的状況の国であれば、同じような文化的側面を有することもあるのではないか、ということだ。

これは僕の少ない経験談からの推測なのだが、これまで僕が訪れた東南アジア・アフリカの国では、どこも同様の「居心地の良さ」を感じていた。どこも「他人」との距離が遠くなく、オープンなコミュニケーションを持つことができた。もちろん、僕が旅行者だったので僕自身の気持ちがオープンになっていたというのもあるだろうが、それだけでなく、「お互いに協力し合うことの必要性」がコミュニケーションの多さに影響を与えているのではないかと思うからだ。

その仮説でいくと、おそらく日本も昔は今ほど「他人」の感覚が強くなく、もっと曖昧で、挨拶をはじめとするコミュニケーションが相対的に多かったのではないかと推測する。なぜなら自分一人でなんでもできる状況でなければ他人の助けが必要となり、そのために少しでも多くの人と関係性を持つことが合理的だろうからだ。

逆にいうと、日本をはじめとする所謂先進国では、他人に頼らず生きていくことができる。実際にはどんなサービスを使うにせよ他人の存在が必要不可欠なのだが、そうしたことを意識することなく、「誰かの協力」ではなく「サービスの消費」によってなんでも達成することができる。そうした世界では他人と挨拶をする合理性が薄れ、他人のようにコントロールできない存在よりも、自分の好きなタイミングで好きなサービスを使う方に合理性があるのかもしれない。

つまり結論に戻ると、タンザニアがコミュニケーションが活発なのは、「タンザニアだからこそ」の部分以外にも、経済発展の度合い、つまり他人と協力することが合理的なのかどうかの度合いも関わっていると思っている。これは裏を返せば、タンザニアも先進国のようになんでも自分で解決できるようになると、今のような僕が好きな文化は薄れてしまうのかもしれない。



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