タンザニアの居心地の良さについて
僕はいま出張でタンザニアに来ており、2ヶ月が経とうとしている。そして、タンザニア生活をとても楽しんでいるし、とても居心地が良いと感じている。
日本での生活と比べると、こちらの生活は不便や不自由を感じることはたくさんある。24時間なんでも買えるコンビニや自動販売機は無いし、夜に出歩くのは危険、日中にカメラを片手に散歩するのもリスクである。僕が大好きなこぢんまりした赤提灯の居酒屋や回転寿司も無いし、谷根千のような下町や銭湯もない。
そうした不便や不自由を差し引いてもここが居心地がいいと思うのは、人とのコミュニケーションが活発で、常にオープンで入れる感覚があるからだ。
日本にいた頃、学校や職場、家族以外の人と挨拶する機会はどのくらいあっただろうか。僕はかなり少なかった。少なくとも毎日では無かった。道端ですれ違う人はもちろん、同じアパートの人とすれ違う時すら挨拶はしないことが多かったし、なんなら同じエレベーターに乗るのが気まずくてワザとタイミングをずらすこともあった。用事がない限りは他者と話すことが少なかった。
一方ここタンザニアでは、知らない人と挨拶をしない日はない。もちろん日本と同じように挨拶をしない人もいると思うが、少なくとも僕は毎日色んな人と挨拶をしているし、それを楽しんでいる。アパートを出るときにセキュリティのガードに挨拶し、スーパーの道中ですれ違った見知らぬ人に挨拶し、スーパーのレジの店員さんにも挨拶をする。こちらから挨拶をする時もあれば、相手から挨拶をしてくれる時もある。バスでは隣の人に挨拶をし、そのまま雑談を楽しむこともある。タクシーなどで誰かに電話で問い合わせる時も、必ず挨拶から始まる。周囲を見渡せば、いろんな人が、知らない他人と雑談を楽しんでいる。もはや、挨拶をしないことに違和感を覚える。
彼らが挨拶を欠かさないのには、セーフティネットを作るための合理的な理由もあるようだ。こちらに来て複数人の現地人から聞いたエピソードで、「挨拶をすれば家族、挨拶をしなければ他人」というのがある。あなたが困った時、これまでに挨拶をしてれば周囲の人が助けてくれるが、挨拶をしていなければ誰も助けない、といったものだ。もちろん比喩的なエピソードであり実際には全く見知らぬ人でも助けてくれるだろうが、挨拶をすることは、お互いに助け合いが必要な環境ではセーフティネットとなるのだろう。こうした挨拶文化や彼らの雑談好きなパーソナリティなども相まってか、タンザニアでは常に「オープン」で居られる感覚がある。
日本でも、こぢんまりとした居酒屋やバーに行くと、その場で出会った一人で来てるお客さん同士で会話が弾むことがある。あるいは登山で誰かすれ違うときにも、挨拶をしたりする。これらは、おそらくそこに居合わせた人たちが「同じ空間」を共有している感覚があるからだと思う。一方普段の生活では僕たちは「自分の空間」を作り、自分の空間が侵害されると気分を害し、だからこそ他人の空間を侵害しないように気を遣っているのではないだろうか。ここタンザニアでは、そうした「自分の空間」の感覚が小さく、国全体が「同じ空間」でできているような感覚で、なのでどこに居ても誰とでも挨拶をして雑談を楽しむことができるのではないだろうか。
僕は学問的な知識はないのであくまで個人的に感じた抽象的な考えではあるが、これが僕がタンザニアが居心地が良いと感じる理由である。