【読書感想】「仕事ができる」とはどういうことか?

先日twitterのタイムラインに流れてきてちょっと気になって読んだのが、「仕事ができる」とはどういうことか? (宝島社新書)だ。数日前に読んでから、今でも思うところがあり、つまりはそれだけ印象深く今の自分にとって何かしら重要な要素が含まれているようなので、簡単に記録を残してみる。

「仕事ができる」状態であれば、きっと仕事が楽しいだろう

この本を手に取ったのは、文字通り「仕事ができる」ようになりたいと思ったからだ。こう書くと「意識高い系」と思うだろうし、実際そういう傾向は多分にあるのだろうが、私が「仕事ができる」ようになりたいと思うのは、もっともっと仕事を楽しめるようになりたいからだ。

今の仕事が楽しくないということは全くないし、むしろ自分に合っている環境で様々なことに挑戦させてもらえるので、だいぶ楽しんでいる方だと思う。ただ、自分がこれまで見てきた「仕事ができる」人のソレのような華麗で無駄のない動きにはとてもなっていない実感があるし、実際苦戦することもよくある。一方で、もし今の自分の仕事に対して周囲が「あいつ仕事ができるな」と呼んでいる状況であれば、きっとそれは自分自身にとっても「なんか分かんないけど他の人よりうまく出来るな」という感覚があるんだろうし、そのように「うまく仕事できてる感」があり実際に成果も出ていれば、当人はその仕事がとても楽しんじゃないかなと思っている。

人生を楽しむためにも、「仕事ができる」と自他ともに感じるような仕事ができるようになりたいものだ。

「仕事ができる」とはどういうことか

この本の中で、「仕事ができる」の統一的な理論だった定義はされていない。しかし対談形式の中で、著者の二人が感じる「仕事ができる」人の特徴や逆に「仕事ができない」人の特徴が挙げられている。あくまで二人が感じるもので明確な根拠はないが、私は結構共感できるものがあった。

その中で私なりに紹介してみると、まず「仕事ができる」の簡易的な定義として「スキルだけでは対応できない領域で結果を出すことができる」ことを指している。本書の中では、それをスキル・センスという比較で表現されている。

具体例として本書の中で挙げられていたのがアメリカの外交官のパフォーマンス評価の例である。外交官の中には現地で成果を出して帰ってくる人もいれば、特に成果もなく帰ってくるものもいる。その成果の有無に何が起因しているのか調べてみたところ、外国語スキルや試験の点数、大学の成績などのスキルテストの結果は一切相関関係がなく、成果を出せた外交官は共通して3つの特徴、つまり「相手の人種などに関係なく対人感受性が高い」「誰とでもフラットで建設的なコミュニケーションができると信じている」「誰がキーマンかを嗅ぎ分ける嗅覚がある」という3つの特徴があることが明らかになったらしい。そしてこのような、スキルとして誰でも取得できるようなものではない特徴は「センス」の一部であり、「仕事ができる人」というのはこのようなスキルだけでは対応できないような領域で結果を出せる人、つまりある種のセンスがある人のことを指している。

オールマイティに「仕事ができる」人は存在しない

なお、全ての領域でオールマイティーにセンスを発揮し、どんな領域でも「仕事ができる」と言われるような人は存在しないという。例えば全社一丸となって一つのことに取り組むような組織の動かし方において抜群のセンスを発揮する人が、一個一個の個別のプロジェクトの優先度判断は絶望的に下手でセンスのかけらもない、というようなこともあるらしい。つまり「仕事ができる」というのは文脈依存的で、自分がどのような文脈・領域でパフォーマンスを発揮できるか自分の土俵を弁えることができているのもセンスの一部だという。じゃあ自分はどんな文脈でセンスを発揮できるのか?を発見するためには、様々なことに身を投じて挑戦し、周囲からのフィードバックを得るしかない。そして、その中で「自分はこの領域でセンスを発揮できるな」と感じたら、もうそこに自分の仕事を全振りして成果を出し更にセンスを磨くことも必要だそうだ。

ストーリー戦略を描けるかどうか

また、もう一つ「仕事ができる」人の特徴として挙げられていたのが、実現したいことに対して内なる情熱があり(本書では「インサイド・アウト」と表現)、そして実現したいことの本質を見抜き、それを実現するために何をどういう順番で取り組めば良いかという自分なりのストーリー戦略を描くことができる、というのがあった。「仕事ができる」人の戦略は、一種のアートにも感じるらしい。確かに、自分があまり仕事できないシーンでは「何から手をつけて良いか分からない」ということは多々ありそうだ。

一方で「仕事ができない」人の例として「アウトサイド・イン」というのが挙げられており、これは最適な解がどこかにあるはずだとブワーッと外部にあるものをサーチして、そこにあるものをピックアップして物事を解決しようとする人が「仕事ができない」人に該当するらしい。つまり解決策を自分の中ではなく外側に求める人が、その仕事の領域においては「仕事ができない」らしく、割と納得いくものだった。そして、けっこう耳が痛い。おそらく、ある領域において「仕事ができる」人は、外部に答えを求めなくとも、自分の中から自然と解が、あるいは解を見つけるまでの道筋が見えているのに対して、「仕事ができない」人は、そうした内発的な解や方針が見えないので、手当たり次第に外部に答えを求めようとする。多くの領域において、正解が外部にあるのであれば誰も苦労はしないのに関わらず。

自分がセンスを発揮できる土俵を探す

先にも書いたように、オールマイティに仕事ができる人はおらず、「自分がなぜかパフォーマンスを発揮できる領域」をメタ認知的に理解し、その領域で成果を出していく人が、本書で言う「仕事ができる」人である。

果たして、私自身がセンスを発揮できる領域はどこだろうか。正直、現段階では自信を持って「これ」と呼べるものはあまりなく、実現したいことに対して感覚的にストーリー戦略を描けるような仕事よりも、「どうすれば良いかイマイチわからず自信なさげに様子見しながら試行錯誤する」場面の方が多い。一方で、チームビルディングやファシリテーション、プロジェクトマネジメントなどの領域では、周囲から少し評価をしてもらってる割に、自分で特段努力しているつもりはなく「自然にできている」あるいは「関心があって勝手に勉強している」もので、これはある種のセンスではあるのかもしれず、今後も磨いていきたい。

いずれにしても、今後も様々な領域に挑戦し、周囲からのフィードバックを得ながら、自分が成果を出せる土俵を見極め、あるいは広げていきたいものである。


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