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不登校の前段階

nichiwaです‪🔆‬
気づけば前回の投稿からめちゃめちゃ時間経ってました。笑
高校が春休みに入って余裕ができたので、文字書き再開です!🌸

ということで今回は、私が不登校になるまでについて書こうと思います。

不登校といっても、「学校に1日も出席したことありません!!」って人は案外少ないもの。知っての通り大半が、”行けなくなった”というパターンです。

だからどんな不登校にも、前段階があります。

でも、不登校児が学校に通っていた時期、学校という場所をどんなふうに感じていて、どんなふうに日々を過ごしていて、どんな子どもだったかって、案外知り得なくないですか?

ということで、”元30万人のうちのサンプル1だった高校生”として自分語りしていきます💪


先生の目に怯える1〜2年生

小学校1〜2年生の時の私はどんな子どもだったのか?
The 優等生!!でした!

宿題は毎日ちゃんとやるし、忘れ物も滅多にしないし、ズル休みとかもってのほか。先生に怒られたことは一度もなくて、友達と喧嘩したこともありません。軽い言い合いになったことすらないような。。
よっぽど自分をコントロールしてたんだと思います。

ちなみに学校は、全然楽しくありませんでした
毎日言われたことを淡々とこなして、刺激を消化するので精一杯だった。。

需要ないと思うけど、当時の楽しくない日々のルーティーンを書いてみますね()
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起床
支度する
家を出る
登校する(通学路で会った時は友達と一緒に登校)
真面目に授業受ける
家が近所の友達と一緒に下校
公園or友達の家で夕方まで遊ぶ
晩ごはん食べる
宿題する
お風呂入る
就寝(9時までには寝てた気がする)
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↑こんな感じ。

いたって普通の小学生でしょ?
(ちなみにこれ数年後には、全部寝ると食べるに変わります。不登校ってそんなもん)


でも心の中は普通じゃなかったんじゃないかな、と思います。


まず、先生に怒られることにすごく怯えてた
とにかく何をするにも、大人の反応を見る子どもでした。みんながふざけて笑い合ってる中、私だけ先生の表情を伺っているんです。「後で怒られないかな、これやっちゃダメなんじゃないかな」って。怒ってる人が空間内にいるだけで、不安でドキドキしてました。

他にも、「ちゃんとしないと」という気持ちが人一倍強かったように思います。

どちらも「長女であることが関係してる」というのが、今の私の読みです。🧐

これらは高校生になった今でも続いています。
そして恐ろしいことに無意識なんですよね。こうなった理由は今でもわからないから、生まれ持った気質なんだと思います。人の目を気にしすぎてしまう気質。他人の不機嫌に気づいてしまう気質。

「HSP」とか、「繊細さん」ってワード最近よく耳にしますよね?多分私もそういうのに分類される人間です。最近ようやく気にしないようになってきたけど、やっぱりまだ悩みを突き詰めていくと、この壁にぶつかります。
この詳しいエピソード、いつか書きたいな。💭

そしてこの気質のこともあり、友達に心を開けなかった
友達自体は、ぼっちにならないくらいにはいました。でも、1秒も素でいられたことはありませんでした。NOって言ったら嫌われるんじゃないかと怖くて、自分の意見を言えずに人に合わせてたからです。
出会ってはじめの数週間は、まだ楽しいんですよ。ただ1ヶ月経ったあたりから関係性ができてきて、相手の遠慮がなくなるんです。「〜しない?」が「〜しよう!」になって、私の意見を聞いてくれなくなる。そこで言い返していればよかったものの、怒られることが怖かった私にはできませんでした。

仲良くしてた子達には申し訳ないけど、私は当時の人間関係を半分義務的に捉えていました。仲良くしたいわけじゃないけど、そうしなきゃいけないからする、みたいな。いつも誰かのお世話をしてるような感覚でした。


よって私の小学校低学年時代を一言でまとめると、「なんとなく合わない友達と義務的に仲良くし、先生の目を気にし続ける毎日」です。悲しくなってきた😂


しかし!!
「人間関係めんどくさい…縁切りたい…泣」とか思ってた私に、大きな転機が訪れます。

過渡期な3年生

大きな転機とは…転校

そう、父の仕事の都合で関西の小学校へと転校しました。
慣れない環境に緊張しながらも、新しい人間関係を築けることへの期待の方が大きかった私は、運良く気の合う友達に出会えたので、わりと毎日楽しく過ごしていました。この頃はもう、人間関係にしんどさは抱えていなかったと思います。

優等生ムーブは健在だったので、勉強や日常生活で困ることも特になく、担任との三者懇談は「○○は本当に真面目!何も言うことないっ!👍🏻」で終わりました。(テンション高めな先生でした)

でも、関西特有の距離感の近さや、関西弁のスピード感と語気の強さへの戸惑い、学校の雰囲気が活発めだったことから、以前とは別の居心地の悪さを感じていました。静かにゆったり過ごしたい私にとっては、全てが強くて速すぎました。。

そのせいか当時、1ヶ月に一度くらいの頻度で癇癪を起こしていました。

ベッドでぼーっとしてると、ふと胸がモヤモヤして体がゾワゾワして叫びたくなって、どうしようもなくジタバタと布団に体を擦り付ける、という。あの感覚はなかなか言葉にできませんが、「不安が襲ってくる」というのが一番近いです。

今考えれば、日常のストレスが溜まりに溜まって溢れた結果だとわかるけど、小学3年生がそんな高度な自己分析をできるはずもなく。。当時は自分でもどうしたらいいのかわからなくて、毎回パニックになっていました。

でも月に一度のそれ以外は特に問題なく、相変わらず先生の目を気にしながら、やぱり楽しくはない学校になんとなく通っていました。

そんなこんなで、可もなく不可もなく3年生終了!

ついにあの日が…4年生

先に書いておきましょう。
「ついにあの日が…」の”あの日”とは、私が学校に行けなくなった日のことです。
5月のゴールデンウィーク明けすぐのことでした。”あの日”について気になるところだと思いますが、それはまた今度!

今回のテーマは”不登校の前段階”なので、”過渡期な3年生”から”あの日”の間に、何があったのかを書いていきますね。


一言で言うと、特に何もありませんでした


ツッコミが入りそうですが、私これ個人的に、小学生の不登校あるあるだと思っているんです。ある日パタリと、張り詰めてた細い糸がプツンといくように動けなくなる。そうやって不登校になった人、割と多いんじゃないかなと。周りでも、「明確な理由がわからない」って声を結構聞きます。私もそうです。
でもその中でも思い当たる出来事はいくつかあるので、それを一つずつ書いていきますね。

一つ目は、友達とクラスが離れたこと。
典型的なやつですね。3年生の時仲良くしてたメンバー全員クラスが離れてしまって、教室内での人間関係が一からになったことは、結構大きかったんじゃないかと思います。
でも、不登校になった時点では友達できてたし、当時読書にどハマりしてて友達がいなくても支障はなかったので、あまり不登校とは関係ないような気もします。「一人で本読むの最高!」くらいではいました。
ただ年齢的に、クラスの女子のグループ化が始まった時だったので、成り行きでそれとなく仲良くするってのが難しくはなりました。

二つ目は、先生が不機嫌なオーラを出すタイプだったこと。
3年生の時の担任は、不機嫌なオーラを出す前に怒声を飛ばすタイプだったので、すごくわかりやすかったのですが、4年生の担任は怒声は飛ばさないけど不機嫌なオーラを出す人でした。(これだけ見たらめっちゃ印象悪いけど、どちらもいつもは笑顔な先生でしたよ!)私は声を張り上げて怒られるよりも、雰囲気でわかってしまうという方がしんどかったので、すごくストレスでした。

三つ目は、とある授業が嫌いすぎたこと。
私の地域の小学校はとある授業にすごく力を入れているのですが、私はそれがとにかく嫌いだったんです。笑
今でこそ(笑)とか言いながら話せますが、当時は本当に不安で仕方なくて。その授業の存在がプレッシャーになっていたことは、不登校に確実に関係しています。

他にも細かいエピソードを挙げればキリがないのですが、大きくはこの三つです。

特に先生の存在は大きかった…!

”あの日”の直後、行きたくない理由を聞かれて、わからないなりに絞り出せたのが「先生が怖い」の言葉でした。

結局前段階には何があったの?

「不登校には前段階がある」とか偉そうなこと言っておいて、長々とした自分語りになってしまいました。。最後にまとめておきます!

①真面目な性格で、「ちゃんとしなきゃ」という意識が強い
②怒られること/怒ってる人がいる空間が怖い
→先生が怖い
③日々のストレスからの癇癪
④仲のいい友達とクラスが離れた
⑤苦手な教科へのプレッシャー

個人の気質から事実レベルのものまで様々ですが、これらが私の不登校の前段階にあったものです。
不登校の要因ということになるのかな。


これはあくまで私の話です。
何があって(なくて)不登校になるかは、本当に人それぞれ違います。

もしあなたが当事者ならご自身の、あなたの周りに当事者がいるのなら、その方のエピソードがあるはずです。
どちらだとしても、寄り添って、心の声に耳を傾けてあげてね。

さいごに

ここまで読んでくれた人がいたのなら、奇跡ですね!
ありがとうございます。
私のこの記事が、あなたの自己理解が深まることにつながったらいいなと思います。

言葉は人を救うからね。

次回は、不登校になった”あの日”のことについて書きたいと思います。
頑張るぞ!



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