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過去を花束にして、いつか高く掲げよう

今年もまた飽きもせず6月がやってきました。

私にとって6月は、少し傷が痛む月です。

思い出さなければいいだけの話なのだけれど、そうもいかないようなので仕方ないですね。

写真フォルダなんかを見返してしまって、
ただただ時の流れに息が詰まりそうでした。


かつて私が見ていた景色の彩度の低さ。
懐かしいけれど鮮明な痛みとともに、瞼を閉じればいつでもあの青が冷たく蘇ります。

あの時、生きている証拠を掴みたくて買ったカメラ。写った景色があまりにも非現実で、もう何年も手にすることはありませんでした。
今年、再びそのカメラを手にして、写る景色が私から見える世界に少し近いものになっていて、嬉しかったことを覚えています。


けれど、あの時見ていた世界も、とても綺麗だった。

ここに少し、残します。

とにかく日の出ばかりを撮っていました。

あの時、なぜ眠れなかったのか。眠らなかったのか。
いまだに言葉にはできないけれど、毎日を引き延ばすように、眠ることが怖かった。

あの頃はむしろ、孤独でいる時間が、唯一の救いだったのかもしれません。

夜が、好きでした。

苦しいくらいに寒くて、冷たくて、静かな夜が。何者でもいなくていい夜が。紛れもなく、泣きたいくらいに一番私に近いものでした。


もう5年。
いまだに傷は残ってる。
思い出せば、疼いて力が入らなくなる。

辛いことなんかもう無いけれど、あの時の苦しみ痛みが今の私も抉って、苦しいと叫んでいる。

助けてあげたい。あの頃の私を助けに行きたい。大丈夫だからって抱きしめて、一緒に泣き叫びたい。一緒に逃げ出してあげたい。

どうか、過去の私にも笑ってほしい。

パラレルワールドがあるなら、あんなに苦しいのはこの世界線だけでいい。

この私、ひとりだけにしてほしい。

みんなに笑っていてほしい。

忘れないよ。
ひとりお寺の境内で感情を失ったこと。
夜の公園で寝たこと。
神社でうずくまって消えてしまいたかったこと。
あの日の満月も。
見下ろした流れる水面も。
お風呂場で感じた刃の硬さも。
雨と鈍い脳内と鉛のような身体も。
私の中で暴れる感情も。
薬で動かなくなる恐怖も。
この世のどこにも居場所なんかなかったことも。

でもね、
あの日の晴れた空も、
乾いたアスファルトの匂いも、
車に流れ込む風の匂いも、
夜の海に連れ出した優しさも、
私の命を離さなかったふたつの愛も。

今日まで続けてきたこの命には、この命だけの景色が、想いが、私が、みんなが、ギュッと詰まってる。

私はこれからも私を生きていくし、
あの頃の私も抱きしめて離したくない。

弱さの理由になっている私が、いつか強さの理由になればいいなと思っている。

私は消えたいと思った数の分だけ生きたいと願って、今日もここにいる。

生きたいと願って生きている。

何度も忘れてしまうけれど、私はあの日々の先で生きて、笑っている。

あの日々を諦めなかったのだから、私は何にでも立ち向かえるかもしれない。
少し、そう思える。


信じたいと願って、たったひとつ信じたこと。
『終わりは必ずある。』

この世で唯一裏切らないことは、私が信じたその残酷だと思う。

希望とするか、期限とするか。

限られた中をどう生きたいのか。生きるのか。


答えも正解もないと、どこかで分かってはいるけれど、私はずっと、今も、その問いの中で生きる苦しみと戦っている。

いつか、今のすべても愛でられる日が来るといいな。愛でられるだけの今を生きていたいな。

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