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深夜に見た夢。自分の見える世界

夢を見て、深夜に起きた。
深夜2時57分。

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約2週間前の深夜、体の熱さに驚き目が覚める。
室温が高いのかと冷静になると、外からは心地良い涼しい風が吹いていて、適温だ。

あれ?と思っていると、突然左半身に痺れを感じた。寝相が悪かったかな?と思い、起き上がるもその後数時間、痺れがおさまらず。
唇も左半分、額も左半分、腕も足も…と見事に半分だけの症状だったので、ちょっとこれは怪しいと思い、#7119に相談をし、すぐに病院へ行くよう促されたので夜間救急にかかるという出来事があった。

自分でタクシー配車の連絡をした。
病院へタクシーで向かう車内から、とんでもない朝日を見た。燃えるように赤く、大きく、美しかった。こんな光景は生まれて初めてである。
運転手さんにすごいですね、と声を掛けたかったが、起き抜けに空腹で乗ったタクシーに酔ってしまい、動けず。
美しいと気持ち悪いが同居した数分間だった。

その節は病院の方へ大変お世話になりました。
ましてやこの大変な時期に、痺れと言えど動ける人間が迷惑をかけている。
念のため、家族にも状況を連絡をすると、必死で無事を祈っていると連絡があり、多方面へ迷惑をかけている自分になんだか悲しくなり、誰もいない広い待合室で泣いていた。

医師の先生も看護師さんもびっくりしていた。
さっきまで淡々と症状とか説明していたのに、急にどうした?!みたいな表情だった。

あとから振り返ると、結構ストレス溜まっていたな、と思う。

結局、CTやらレントゲンを撮るも異常はなく、症状が続くようであれば再度近くの病院へかかるよう説明があり、帰宅することに。
その時は既に朝6時半。

帰る足がないので、タクシーを呼ぼうか迷うも、空腹でこのまま帰れば絶対に気持ち悪くなると思い、構内のコンビニでおにぎりとパンを買い、始発のバスを待ちながら外のベンチで食べた。

周りは長閑な風景が広がり、広すぎる構内の中、人も1人か2人すれ違う程度。

始発のバスが無事に到着し、帰路に着く。
結局気持ち悪くて、一つ前の停留所で降りて、少し歩いて帰った。

恐らく、在宅ワークで身体が固まり過ぎていたのだと思う。なのに体のケアはせず、運動といえば日用品や食材の買い物で歩く程度。
この程度で運動はしているつもりになっていた。
だって、実際に身体は動くし。

「身体を大切に」ってどういう意味かを30年生きてきて、やっと知るのであった。

肩、背中、腰なんかは特に固くなっている自覚があり、それを放置し過ぎた故に自律神経かおかしくなったのだと察し、そこから軽いヨガやストレッチを意識して取り入れるようになった。

会社にも事情を説明した。
「〜そんなわけで、ぶっ続けで作業するのは止めます。頻繁に休憩を挟んでストレッチ、ヨガなどで体を労る時間の使い方にします」と。

快く、もちろんそれでいいと言ってくれた。

そこから、かれこれ約2週間。
寝つきも良くなり、これまで深夜に目覚めることが多かった私が、朝までスヤスヤと眠る日々が続いた。

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冒頭の話へ戻る。
そんな数日を過ごしていたので、深夜に夢を見て目が覚めたのは久しぶりな感覚だった。

夢の中は場面が飛び飛びでいろんな記憶があったが、目が覚める直前で見ていた場面は、演奏会の場に自分がいる姿だった。

客席ではなく、奏者であり、十数名程度の楽団の一員だった。

夢の中で私は、「同じ目標に向かって、同じ曲を演奏した仲間でも、自分の席から見えている景色は全員違うんだ」と感じていた。

自分の席からは見えない席にいる奏者もいる。
その人には私の後ろ姿や横顔が見えている。
だけど、指揮者を向く私には、その奏者の姿は見えない。

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これには深い意味があると感じて、noteに記録しておこうと思った時に、若林さんのnoteが更新されていた。
内容も主旨も私の夢とは全く関係ないが、どこか通ずるものがあるように感じた。

今は外は明るくなってきているが、いそいそと布団からスマートフォンでこの文章を必死に打っている。

人は、同じ方向を向いていても、目指していても、見えている景色が違う。世界が違うのだ。

同じ方向を向いていても、目指していても、それは全く同じではない。

それを擦り合わせる必要があるのなら、それには「対話」だ。

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