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悪口はネガティブか?正当な批判か?似非スピリチュアルヒーラーについて



長年、人間の「神聖さ」について考察してきた。

ミッションスクールに行って毎日ミサに参加させられ(積極参加ではなく学校のカリキュラム上)毎日、毎日シスターから「神さま云々」と言われ続ける小学生時代を送ったからだ。

耳にタコができそうなくらい「神様」と「世界平和」を聞かされてきていたのに、彼らのとんでもない排他性を間近で見聞きして、
あ~~~~れ~~~~!へんなの!
ずいぶんとケチくさい神さまだなあ。

こうして、小学生の時に、もともともっていた「自分の神聖さ」を否定され、宗教のなかの神聖さなるものを上書きされてしまった。そのことは私のなかで一番のトラウマとなっていて、その洗脳を外すことはとても大きな恐怖であったが成人してから必死の努力で宗教の洗脳から抜けたことで、自由な発想ができるようになった。



学校では、その宗派以外や他の宗教の人々を見下し、アカラサマな悪口を生徒から聞いてきた。生徒は私と同じ小学生なのに大人顔負けの口汚さで他の宗教の人をののしっていた。それは、大人の真似をしていただけで本人たちは実のところそれが何を意味するのかもわからずに言っていたのだと思うけど、こうやって、人種間の偏見や他宗教への偏見が親から子へと伝授されていくのだろう。なんとも根深い「ヘイト」の連鎖だと思った。

そして、私は思った。
「へんな神さま。ケチんぼだね。」

その時から「人間の真の神聖さ」探しが始まったと言える。


長い前置き

昨今のスピリチュアルブームで情報が無料でYoutubeなどで入手できるようになって様々な人が自分の神秘体験やそこから生じた人生の変化変容を語っている。人はどの時代においても、何かしらの「心のよりどころ」となる自分よりもスーパー強い救世主を求めるものなのだろう。

救世主のイメージは様々で、人によっては「ツインレイ」とかいう異性に求める場合もあったり、イエスキリスト、釈迦、モハメッドなどの聖者に求める場合もあったりするのだろう。最近は、彼らのような聖者ではなく、対象が「宇宙人」だったり「龍」だったり、「天使」だったりとバラエティ豊かである。

それらの未知なる不思議存在からパワーをもらった気分になって、神聖であり真正な理想的な自己像をイメージすることは大事だと思う。そのイメージを自己の内部で持つことができれば、人生の荒波も怖いことないだろう。そして、自分のことを愛のかたまりで心優しい人で地球を癒す存在だ!とイメージを固めるのも悪くはない。基本的に善人が集まった社会のほうが誰にとっても生きやすい。

そこまでは、いいよ! 誰が何を信じようとも、生きていく上で自分の助けになるなら、それが真実か妄想かなんてどっちでもいい。

でもね、


ここからが悪口!

近頃さぁああああ、あまりにもMoneyとLoveを交換しようとする人が多すぎな~ぁい?


需要と供給


つまりは、需要があるから、Love&Healingをおカネで売ろうという人たちが出てくるってことだよね。

需要がなければ、Love&Healingというスピの「商品」を売ろうという商売人は商売が成立しないのだから。

それは、供給側が悪い場合だけでなく、需要を作り出している側の生き方にも問題があるんじゃないかと思う。

「依存」先を間違えちゃいけない。


似非スピリチュアルヒーラーの台頭

日本社会はもともとはむら社会である。それなのに、集落が崩壊して核家族化が進み、

歪んだ


「自立」神話


自立することが「神」みたいに連呼され、自立できていない自分は悪みたいな劣等感を抱かせるような社会の風潮に悩む人が増えてしまったように見える。少し前の時代の年功序列や終身雇用はまさに「共依存」でなりたっていた社会制度だ。社会自体が真に「自立」した個人の集まりまで成長していないにも関わらず「自立」「自立」と叫ばれ、それが何を意味するかもわからず、自立なんてできてもいない「共依存」=「親密さ」と信じてきた親世代に育てられた子供世代は、ゆっくりと精神的な成長をする時間をもらえずに競争社会にほっぽり出され、不安にさいなまれる人々を量産したのが、現代日本だとワタシは思う。

そして、そこへまるで救世主のように「ヒーリング」やら「癒し」という甘ったるい言葉で忍びよる似非ヒーラーたち。
(ホンモノのヒーラーさんもいるとは思うよ。そういう人のことじゃないからね)

ウラの裏を知ってしまった私は、正々堂々と悪口を言いたい!

キラキラ 愛と癒しのヒーラーです! を売るために彼ら、彼女らはそれなりのプレゼンテーションをしていることをまずは理解すべきだろう。
ビジネスではプレゼンテーション、いわば、見た目を整えるのは常識であるが、それと同じことがスピ業界でも行われている。


さて、さて、

お客さんの前では優しい女神。

でもね、
ウラで身内には鬼以上の悪鬼やダーク魔女みたいな人もいる。
これは、かなりヤバいレベルの裏表の激しさ。

きれいごとを言い続けること。神様のお使いみたいなイメージを人々に抱かせることによってその人が受ける賞賛はとても甘く、自尊心を多いにくすぐるようだ。そのイメージを維持するためには、ウラでダークな部分を弱い人に八つ当たりして発散しないと本人はバランスがとれないようだ。

こういう似非ヒーラーとかかわると、お客さんはただの「エサ」。
これは本当だからこんなひどい言い方をしてる。
ホンモノには謙虚さがある。感謝がある。静謐さがある。

表現力豊かで、美しい言葉を操り、饒舌な人は注目を集めやすいが、そういう似非ヒーラーが提供できるのはエンターテイメントであって、本物の癒しではない。

ヒーラーは自分が癒されたレベルまでしか相手を癒すことができない。

裏表激しい時点でそのヒーラーは自分の心の闇と対峙できていないので、そんな人のところに行ったところで何一つ癒されはしない。せいぜい受け取るのは、キレイ、キレイなイメージだけである。だけど、人間とはほんとうに賢いものである。美しく、神秘的なイメージを受け取った後にモヤモヤが残ったならば、それが「正解」。

モヤモヤの正体こそが「自分の神聖さ」からのメッセージなのだ!
違和感がある場合は、その似非ヒーラー、スピリチュアルティーチャー等のウラの顔を「あなたの神聖さ」が察知している!という絶対的なサインなのだ。



商売人には二通りあって、キレイに稼ぎたい人となんでもいいから現金になればいいと安易に考えている人。似非ヒーラーの類は、後者が多いから、スピに参入する際は「カモ」にされないように、自分の「感性」を信じて、本物の先生に出会ってほしいと願う。











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