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なぜ産業保健へ?

こんにちは☺️iCARE保健師 ういです。
今回は産業保健を目指したきっかけについてお話していきます!
(いつか初心を忘れそうになったら戻ってくる)

そもそもどうして看護師に?

  小学校6年生の頃に東日本大震災を経験し、知り合いが石巻で被災…子どもながらに強い衝撃を受けました。この時に初めてDMATの存在を知り、調べていくうちに、阪神・淡路大震災の時に避けられた災害死が多くあり【1人でも多くの命を助けよう】と発足されたものだと知りました。
  みんなが震災で大変な時に多くの命を救うDMATの看護師になりたい!と思い、看護師を目指しました。
  大学で保健師課程を専攻する時には、災害関連死や被災後の中長期的な支援が学べるかな〜と考え選択しました🤓(今でも災害に興味があるので、いつか防災管理者を取りたいです。)

救急救命センターでの経験

  DMATになるには救命配属が良いと聞き、大学病院に就職して第1希望の救命救急センターに配属。
そこで出会った患者さんは、
・運ばれてきても治療適応外
・仕事中に高所転落や機械に挟まれて四肢切断
・心疾患や脳血管疾患で脳死
・自殺未遂      等など
生死の境目、非現実のような症例を毎日沢山みてきました。そんな中、災害以前に平常時でも防げたはずの症例が沢山ある事に気づき、そもそもこうなる前に何かできなかったのかな?という気持ちが強くなっていきました。また、病気や怪我をしてからでは、亡くなってしまったり後遺症が残ってしまってからでは、何もかもが遅いと強く実感しました。

自分の体験から

 希望していた部署に配属されて嬉しいのも束の間、毎日仕事が辛くて号泣。通勤中に「事故にあえば仕事に行かなくてすむ」と考えるように…。今となってはうーん…な状況ですが、当時は同期も同じ状況で、先輩からも「1年目はそんなもん、誰もが通る道」と言われ、働くってこういう事なのかと思っていました。けれど、ある時ふと「もう限界。このままの状態で働き続けたらマズイかも…」と自覚。
 働けば働くほど体調が悪くなる・生理的欲求も満たされない…働くことで健康を害すことを身をもって体験しました。
  

内科病棟の経験

 その後、地域病院に転職。内科配属でしたが、色々な科の患者さんと関わることが出来ました。
・仕事のストレスで胃潰瘍
・糖尿病で足趾切断や失明
・誤嚥性肺炎を繰り返す   等
その中で、地域に戻った環境(退院したあとの環境)が患者さんの生活する場で、その環境次第で健康が大きく左右すると感じました。個人が頑張って治療をしても個人を取り巻く環境が良くなければ、結果としてその人は疾患を繰り返す・別の疾患になると学びました。


人生の大半は働く年代で占めているし、働く世代は社会的な役割が大きい(家庭内だと一家の大黒柱だったり、仕事で重要な役割を担っていたり)。
働く世代にポピュレーションアプローチをすれば、もっと多くの人がその人らしく健康的に生活できるのでは? 健康寿命の延伸にも繋がるのでは??
健康面も環境面も関わりたいな、と思い産業保健師を目指しました🌱

私の根底には【多くの人の命を救いたい】があり、深めていくと【避けられたはずの死を減らしたい】に繋がっていくのだと思います。DMATとしては叶えられませんでしたが、産業保健師に出来ることは沢山あるはず!頑張ります💪🏻💪🏻



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