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#24 台湾と日本の経済的・文化的結びつきについて

 台湾企業の日本進出は話題性がありますよね。最近だと台湾の世界的な半導体メーカー「TSMC」が、熊本にやってきたことが話題になりました。また、少し古いですが、「鴻海精密工業」が「シャープ」を買収したことには衝撃を受けた人が多かったのではないでしょうか。もっと身近な存在だと「Gong chaha(ゴンチャ)」は東京のショッピングモールだったらどこでも出店しているような印象があります。上記の例は特に台湾の人々が日本を訪れた際に感じることではないでしょうか。(当然ながら、台湾の人々にはもう少し違った風景に映ると思いますが。)

 このように台湾と日本の結びつきはかなり強いです。しかし、これは日本に住む日本サイドの人間である私が見た日台関係に過ぎません。たしかにニュースや日常生活、その他データなどでその度合いはわかりますが、当の台湾ではどうかという点については理解が及んでいないというのが正直なところです。なので、台湾に実際に赴き、その結びつき具合を肌で体感してきました。その一端を写真におさめましたのでご紹介いたします。


 まず、コンビニエンスストアはその典型例かなと思います。アメリカが発祥ではありますが、7&iやファミリーマートなどなじみの景色が台北のいたるところで見られます。

  商品を確認してみると、ひらがな・カタカナ・日本表記漢字がズラッと。日本でもおなじみの商品をはじめ、逆に台湾で初めてみたお菓子もありました。日本の店舗の商品棚では外国語表記の商品はあまり見られないですよね。だいたいが翻訳されていると思います。日本在住者の私の視点からそう考えると少し異様な風景にも思えます。

ダイソーも。
漢字表記は初めて見ました。「大創」なんですね。

 台湾の行政機関が多数集まる「中山区」の繁華街には、日本でも当たり前にみる飲食店ばかり。
「サイゼリヤ(薩莉亜)」、「和民」、「スシロー」、「くら寿司」、「ユニクロ」、「吉野家」などなど。

 ちなみにサイゼリヤのメニューを見てみると、為替レートが原因で日本よりやや割高です。たとえば、2枚目の写真右上にある「カルボナーラ」。日本では500円ですが、台湾だと140$(TWD=台湾ニュードル)でした。当時は1$=4.5円でしたので、およそ630円。そうはいっても、イタリアンをこの値段で食べられるのは、さすがサイゼリヤだと思いました。

 故宮の近くでは「茶茶王国のおうじちゃま」という抹茶屋さんがありました。割と客足が多かった印象です。


 次は台北の空港がある地区、「松山」で見つけた結びつきです。

台北の松山区


 台湾の「松山駅」前にどこか見覚えのある風景が。。。上2枚が台湾で撮った写真。下1枚が愛媛県の松山・道後温泉で撮った写真です。瓜二つ!
近寄ってみてみると日本語で「松山-道後温泉 幸福からくり時計」と表記がありました。

台湾「松山」
台湾「松山」
愛媛県「松山ー道後温泉ー」

 調べてみると、愛媛県松山市から贈られたもののようです。3.11に台湾が日本を支援したことへのお礼、また台北松山空港と愛媛の松山空港を結ぶチャーター便が就航したことを記念してとのこと。遠い台湾の地でまさか道後温泉を想起することになるとは。。。旅は面白い!


 次は言語・文化です。
 まずは「言葉」。

 「自由」という言葉には、明治以来の歴史があります。それは当時の知識人たちが ”liberty” という英語を翻訳したことにはじまります。
 明治の哲学者、中村正直がイギリスの哲学者、ジョン=ステュアート=ミル著の”On Liberty” を『自由之理』として翻訳したことはとても有名ですよね。「自由」という言葉については、古代東アジア世界では仏教用語として使用されていたようなのですが、近代ヨーロッパ世界が指し示すところの「自身で勝ち取る自由」、「義務を果たしたうえでの自由」といったような「主体的自由」という概念自体はそこに存在しませんでした。そういった意味でも今日でいうところの「自由」という翻訳語はやはり近代日本で生み出された言葉です。その「自由」という言葉は「民主主義」が鍛えられている台湾では非常に重んじられていることがわかります。そのことは台湾の政治的シンボルとなっている「中正紀念堂」前の広場からもわかります。

 同じく「言葉」ですが、台北のMRTの路線図からも垣間見えます。

 MRTの主要駅に「民権西路」という駅があります。単に、台北の主要道路が冠されている駅ですがこの「民権(民の権利)」という言葉もまた明治日本で翻訳され生み出された言葉です。自由民権運動でその言葉が多用されたことは有名ですよね。
 近代日本で作られたこれらの翻訳語が中国に”逆輸入”され、近代的な政治感覚を持つ中国の知識人たちも西洋思想に比較的簡単にアクセスできるようになりました。
 中国由来の言葉を活用し、西洋思想をイメージしやすいように訳出する作業が明治日本で行われ、それが漢字文化圏の地域で共有される。東アジア世界での思想形成は互いを補い合いながら営まれたのだと改めて思います。

 続いては文芸。
 ふらっと、本屋に立ち寄ってみました。

 すると日本文学の棚が。
 日本でもなじみの文豪たちが名を連ねています。実際彼らは、どの程度まで台湾で知名度があるのでしょうか。

 現代文学の棚にもなじみの作家たちが。

 コナンの映画も台湾でロードショー。
 客足はどのくらいなのでしょうか。

 街歩きをしていると「床屋(?)」の店先に。見覚えのあるキャラクターが。

 台湾旅行の最後のお昼ご飯はラーメンをいただきました。
 店内には日本語表記がいたるところにあり、日本から来る観光客をターゲットにしていることがわかりました。とても美味しかったです。

 以上がたったの2泊3日でみつけた日台の結びつきを物語っている数々の例です。
 私のリサーチ不足で、欠如している視点があればぜひご教授願います。

参考文献
・柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書、1986

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