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エンジェルマザー【掌編小説】

※本文2,345字。
 本作品はフィクションです。

 『優しくて、天使みたいな母』という映画の再放映が深夜にあるということで、珍しく明朝まで映画鑑賞をした。恋人が急死したことがきっかけで、その母親に片思いをする18歳の青年のピュアな物語であった。結果的には失恋をするのだが、彼の純朴でストレートな気持ちが何とも言えない感情を呼び起こす名作であった。
 僕がナミよりもお母さんを好きになったのは、その映画に影響されたせいかもしれなかった。お母さんを意識した途端に、いつしかナミへの愛情は薄れ、気持ちのすれ違いが始まった。僕が大阪から、ちょうど東京の大学に進学する頃だったからすれ違いが起こるのは必然的だったのかもしれない。
 入学式にはお母さんだけを招待したはずなのにナミも同席すると言う。大学の入学式に彼女じゃなくて、その母だけを呼ぶ僕もどうかしている。
 「私たちは、二つで一つだから」こう言うお母さんは女手一つでナミを育ててきた。隣のナミは当然だと言わんばかりの表情だ。春風に乗った桜の花びらがナミの前にヒラリと落ちた。
 「トシくん、ごめんねぇ。この子が、どうしても入学式に行きたいって騒ぐもんだから」
 お母さんは、完全に子供優先の表情を見せた。やっぱり僕は、許されない恋を企んでいるのだと思い知らされた。現実的には、恋人のお母さんを好きになっては絶対にいけないのだと。
 周囲の人たちはみんな怪訝な目で僕たち3人を見ている。
 それにしても、同い年のナミとお母さんは少し年の離れた姉妹に見えるぐらい似ている。36歳のお母さんが若いのか、ナミが老けているのか。おそらく、お母さんが美容整形をしたことが娘との見た目年齢差を縮めている要因だろう。両親がいない僕は、お母さんに保護者として入学式の参列をお願いしたのだ。後から知った話だが、ナミはその保護者席を狙っていたらしい。だからいつもより厚めに化粧をしていたのか。僕はひたすら緊張していた。お母さんがどこに座っているのか見渡す余裕が全くなかった。お母さんはずっと僕のほうを見ていたそうだ。いつ誰から「入学生総代の安西トシ君のお母さんですか?」と訊かれてもハイと違和感なく答えるつもりだったそうだ。
 入学式が終わると、体育館の前でナミが待ち構えていた。ナミは嬉しそうに僕の名前を呼んだ。
 「トシが大学生になることは、天国のお母さんもきっと喜んでいると思う」
 ナミは僕の亡き母を知っている。
 オカンには「この人と結婚するから」と紹介をした。亡くなる前、僕の幸せを誰よりも心配していたから。でも、もうナミのことは好きでもないし結婚相手でもない。むしろ、僕は嘘をついた。もし、オカンが生きていればナミとは別れずに結婚していたかもしれない。亡くなってから、きっと自分の中で半ば衝動的に【僕を包んでくれるような恋人が欲しくなった】のかもしれない。
 ナミと体育館の前で少し立ち話をしている間にお母さんが出てきた。彼女はいつになくムッとしている。
 「トシ君、私の前でナミと仲良く話さないで」
 激しく嫉妬した表情は、とても36歳には見えない可愛らしさがあった。僕は決して話したくてナミと話していたわけではない。
 「ナミは、もう帰って」お母さんは急にナミを目の敵にするような顔を向けた。
 「ママ、私はトシと仲良くしたくて話していたわけではないから」ナミは恋人として当たり前の行為だと言わんばかりだ。
 「あなたはもう、トシ君から捨てられる運命よ」お母さんはかなり興奮した様子で、ナミを突き放すように叫んだ。最初ナミはエッと言う顔をしてから、「ママそんなことありえないから」と激昂した。しかし、残念ながらどちらも身内ではない。僕からすれば、赤の他人だ。
 「トシ! どっちが大切なの?」同じタイミングで同じような表情で、二人は僕に刺し迫ってきた。
 「何か注文をお願いします」
 40歳前ぐらいの女性店員がテーブルの前で立っていた。願ってもみない救世主(メシア)を僕はすがるように見つめた。
 ナミとお母さんは仕方ないと言うような表情で「ホットコーヒー」と発した。二人とも言いかたは穏やかだったが、何かを堪えるような表情だった。
 お待たせしましたと女性店員が持ってくるなり、ナミとお母さんは(自分のほうに先にコーヒーを置け)と言わんばかりの表情をした。空気を読んだ女性店員は右手に一つ、さらには左手に一つのコーヒーカップを持ち直した。女性店員の手は小刻みに震えていた。
 僕の注文したアイスコーヒーが届いた。一口飲んだ後に、僕のほうから切り出すことにした。
 「お母さんのことが好きだから」
 それを聞いたナミはショックのあまり泣きだした。お母さんは、しばらくは無言でナミを見つめていたが『じゃあ、私は引きますから』とは当然の如く言わなかった。むしろ、テーブルの下で足を大きく組んで小さくガッツポーズをしていた。
 ナミとは、その日以降連絡を絶った。
 しばらくして、僕は都内で築20年の木造アパートでお母さんと同棲生活を始めた。ナミとの親子関係を解消する意味でも、お母さんにとっても上京すること、そして僕と生活を共にすることがその決意の表れだった。いや、僕がお母さんに求めた。敷金・礼金と毎月の家賃5万円は僕が全額を支払うことになった。あと、「お母さん」という呼び方はそろそろ止めなくてはならない。救いの天使、とでも呼んでみようか。でも、聖母みたいな彼女ー。しばらくこの感覚は僕の中で消えないだろうし、一歩外に出れば周囲は好奇の目で僕たちを見るに違いない。でも、あの時ナミを選ばなかった理由は、オカンが半年前に35歳という若さで亡くなったことが少なからず影響している。
 何かを失うことは、誰かのせいにして、わがままに生きていくことなのかもしれないと僕は思った。

【了】 



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