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変態夫婦【掌編小説】(青ブラ_第3回変態王決定戦参加作品)



 ※本編2478字。


 (節分に邪気を取り払うって、何も夫婦関係にまで躍起にならなくても・・・。)夫のヒロシはそう呟くと幻の終わりの様な刹那さに襲われた。
 節分に離婚を突きつける風習は、実はその昔日本に存在していた。妻の節子は鬼の形相で夫に三行半を突きつける。
 「ハタチに結婚して20年。ずっと、アンタのことが気に入らなかってん」
 ヒロシに世の悪運の全てが降りかかったように真昼の斜光が突き刺さる。まるで居所を失った彼は何が起こったのか分からない無の表情だ。
 「無職なのに、博打に散財。一体どれだけ人を阿呆にしたら気が済むんや?」
 もじゃもじゃ頭の最愛妻の問いかけに一番答えられないのがダメ亭主の典型例で、どうしてこうなったかも分からない。
 「元々こうだったから・・・」唯一の抵抗は居直るしかない程度の虚しさが家中に轟く。
 「節分の日に鬼じゃなくて、アナタが家から去って下さい」
 節子は自分でもよく分からないセリフを吐くと何かを投げる仕草をした。気だったか。それとも、長年積み上げた情念みたいなものだったか。
 ヒロシは敢えて何かを当てられたように苦悶の表情をした。心は傷ついたと言わんばかりのささやかなリアクションだった。
 「じゃあ、スーパー行くから」
 妻はこう言うと、車の鍵をヒロシに投げた。彼は元野球部でキャッチャー経験がありチーム内ではいわゆる「正妻」と呼ばれていた。
 「ナイスキャッチ」妻がこう叫ぶとニヤリとヒロシは笑った。「顔、キモっ」たった一言は彼の心に突き刺さり感傷的になった。
 いつも通り、運転手ヒロシの助手席に座らない節子は斜め後部座席に勢いよく乗り込んだ。
 「はよ行けよ。夜まで時間ないんやから」
 シニカルな関西弁が車内を支配した。
 ハンドルを握ったヒロシは頭が真っ白だった。やっぱり、今晩11時59分59秒に自分は捨てられてしまうのか。もう、ダメなのか。フロントガラスから見える赤い野球帽を被った少年にすら劣等を感じた。
 近くのスーパーに到着した。
 節子はオウと一言だけ言いそそくさと店内に消えて行った。ヒョウ柄の上下服は異様なオーラを放っていた。「行ってらっしゃい・・・」聞こえないはずの囁きは愛妻に届いただろうか。
 待てど暮らせど節子は戻って来ない。何かあったのだろうか。
 心配になったヒロシが車から降りると携帯電話がけたたましく鳴った。節子からだ。
 「豆は、赤か黒か白か?」
 ヒロシはハァと叫ぶと「色は何でもいいから」と吐き捨てた。どうせ赤を選べば「血を見るぞ」とか、黒なら「お前は何か企んでいるのか」とか、白なら「嘘をつくな」などと圧力をかけてくるのだろうから。いずれにせよ気が引けた。
 大きなスーパーの袋を両手に持った節子が戻ってきた。すると突然、携帯電話が無いと言い出してきた。
 「さっきまで持っていたんでしょうが」
 ヒロシは思わずこう叫ぶと、斜め後部座席に座った節子と入れ替わるように車内を飛び出した。気がつけば店内に向かって駆け出していた。
 スーパーのインフォメーションコーナーにニコリと笑う20代の女性が立っている。
 「すっ、すいません」
 ヒロシはハアハアと今にも息が切れそうだ。
 「お客様、いかがいたしましたか?」
 そのキャビンアテンダント並みの優しさに少し心が落ち着いた。
 「いや、その・・・うちの節っ、いや妻が携帯電話を失くしてしまいまして」
 「けっ、携帯電話ですか?」
 名をミナシロと言う受付の若い女性は世の中を何も知らないといった表情をヒロシに向けた。不安になった彼はひたすらに気持ちが前のめりになった。
 「とにかく。とにかく、携帯を探したいのです」
 「はいっ!」女性はこう言うと、理解した様子で目の前にある小さなマイクをめがけて呼び出しを始めた。
 「赤穂店長、赤穂店長、先ほどご来店されたお客様のご携帯電話が店内で紛失しました」
 こう言った途端、50代の小太りの男性が魚か何かのパックを片手にこっちに向かって走ってきた。
 店長は若い女性店員に入れ替わるようにヒロシに話し掛けてきた。何も悪いことをしていないのに、まるで自らに全責任があるかのような蒼白の表情だ。
 全身汗だくのその姿にヒロシも一抹の申し訳なさを感じるしかなかった。
 すると、遠くの鮮魚コーナーから別の男性店員が携帯電話片手にこちら側へ走る姿が見えた。
 「ピンクだ! 節子の携帯だ!」
 ヒロシは思わずそう叫んだ。
 「お客様、鮮魚コーナーの鯖の横に置かれていたそうです」
 「青魚の横にピンクの携帯が。なんでそんな所にっ」ヒロシは思わず両手で顔を覆った。豆の色をどうのこうのと言っている場合では無かった。
 「ありがとうございます」背骨が折れ曲がるほど深くお辞儀をした後、ひらすら店長と店員に無我夢中で謝った。お店にも。
 「お客様。スマートフォン見つかって何よりでした。またのご利用をお待ち致しております」
 店長は慣れた様子でそう言うと、片手に持っていたイワシと手巻き寿司用の大きな海苔をビニール袋に詰め始めた。またお店に来て欲しいと言わんばかりに懇願するような表情でヒロシに渡した。
 「いやいや、皆さんが悪いわけではなく・・・」
 ヒロシがこう言うと、そんな声はお構い無くという風に店長の顔には薄く書いてあった。むしろ、これくらいのことは当たり前だと聴こえてきそうだった。ヒロシはサッと受け取った。スーパーが乱立する時代にこれぐらいの対応は当たり前なのだろう、と自らを宥めるように思った。

 「携帯あったよ」

 そう優しくピンクの携帯電話を妻にそっと手渡した。目の前の節子は涙声でヒロシの両手を強く握った。車中に取り残された間、節子はさぞかし淋しい思いをしただろうとヒロシは慮った。
 「じゃあ、出発するよ」
 まだ小太り店長の温もりが残るビニル袋の取っ手を惜しむように助手席に手放した。ヒロシは鍵を勢いよく差し込んで、いつものようにハンドルを強く握った。
 節子の「ありがとう」は、確かに車内に優しく響いた。日曜日の夕暮れ時は夫婦が夫婦であり続けるための幸せなひとときになっていた。

【了】 

今年2月に投稿した作品を一部改訂しました。

当作品は「第三回変態王決定戦」への参加作品です。
山根あきらさん素晴らしい企画に感謝申し上げます。
あと、素敵なイラストも有難うございます。

🙇‍♀️どうぞよろしくお願いします🙇‍♀️

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