嫌われ松子の一生と愛について
こんにちは、はちみつ太郎です。今回は嫌われ松子の一生という映画を見て考えたことを適当に書いていきます。
簡単なあらすじ
会ったこともない伯母、川尻松子の死を父親からされた川尻笙が松子の周りの変わった人たちからその一生を聞き、振り返るという話だ。
話の導入としては、中学校の教師をしていた松子が、修学旅行で教え子の龍の窃盗の罪を被ったために辞職する。そしてそこからの転落人生を描いたものとなっている。そんな悲劇的なストーリーをミュージカル的にそしてコミカルできらびやかで華やかに描いた映画です。
ストーリーを通して感じたテーマ
それは承認と愛です。松子の人格には一貫したものがあります。教師になったのも、病弱な妹に対して父にあまりかまってもらえなかった。そんな中で、一度だけ父に連れて行ってもらったデパートの屋上で見たコメディーの変顔に普段あまり笑わない父が笑っているのを目にし、それ以来、その変顔をするようになった幼少期。
時代の影響もありますが、金を盗み学校をやめてから、家族とは縁を切る。そして、家を出て次々といろんな男と同棲を始めるも、金をせびられ、暴力を振られ、どこかで分かっていながらも、ひとりぼっちでいるよりましと考えている。というマインドがあるように思います。
松子が、人を殺して自殺をしようとしていた時に声をかけられ、一緒に暮らした理容師のために8年もの間、服役中頑張り、美容師の資格をとるシーンは結果的になかなか切ないですよね。
松子は、人生うまくいかなくても、過剰にみじめにならずに、自分は生きていてもいい。そして他者から受け入れられると少しは思えている。そのような、自分の中に尊厳があった。
そのためにすぐ他の男に依存するように一緒になる行動をとれていたが、一生を添い遂げると誓った龍に突き放され、とうとう引きこもってしまう。そこには他者からの承認はなく、本来の自分を完全に否定されたという経験が自分自身の尊厳を上回ったからだろう。
不幸か、幸せか?
松子はポジティブで不器用、夢見がちで何かと空回りする。そのため不幸、みたいな方程式が映画中で繰り返し描写される。皆さんはどう感じただろうか?松子は不幸だろうか?それとも幸せ者だろうか?
見ている人、その時の現実の自分の心理状況によっても違うと思う。人生が上手くいっている人からしたら、ほとんどの人が「彼女は不幸せだ」。というだろう。また、自分自身が今、絶望の最中にいて、気持ちも沈んでいる人が見たらきっともう立ち直れないかもしれなかったり、途中で見るのをやめてしまうかもしれない作品だ。
反対にこういう考え方もできると思う。変わり果てた松子と再会した沢村からの見捨ててないよと「会社専属の美容師を探している。その気になったら連絡してほしい。」や、死んでから語られる、様々な感謝や思い。
また龍の「松子は神様だ」などの発言から生前彼女が愛された、幸せ者としての側面も感じられる。死後に言われても、もう遅いとはこのことだ。もしこの言葉たちが生きているころに届いていたら、とかも思う。僕にもそういう経験はあるし、みんなもあると思う。
他者から言われたポジティブな言葉が承認を作り出しているし、普段の言動には人を変える力がある。もちろん誰が言うかは、するかの関係は他者によってことなるが。また自分の考え一つで変わるこの世界にもまた、すごさがある。
印象に残った言葉
HIPHOPのパンチライン的に僕が作品の中でくらった言葉や考えさせられた言葉を紹介します。
は「やってもらうより、やってあげる」です。どうしても自分に自信がなく、他者から承認されていないなと感じる時、私たちは誰かを愛す、よりも愛されることにとらわれてしまいがちです。
だから、自分自身が余裕のないとき他人に対して意識がいかないから、誰かを幸せにすることができないし、その結果、幸せな人が周りにいない。これが悪循環的に続くのではないかという考えです。だからまず、自分自身を内省的に考えて、機嫌を取る。
これは個人とかの問題かと思いきや、社会単位の問題かもとも思う。スケールが大きくなるけど、最近よく聞く、無敵の人は、結構ここが問題の肝だと思う。結局、みんな一人だけど、一人じゃない、(俺、私、誰か、近所の人、誰か、親、友達とかetc…)っていう。マインドがみんなできたらいいですね。
また、そんな愛も、条件付きか、無償の愛かという問題が生じてきてみんな、いろいろ考えてしまうと思います。例えば、条件付きなら、金、肉体、地位、名誉、etc…などがあるからあいつといるみたいな感じで、つまり代えがきくイメージだ。無償の愛は、あなただから、あなたが好きというもの。つまり、代えがたいもの。
後者は、youtubeにセルフで2倍速機能がついたり、shortsなどが流行るタイパや、コスパが叫ばれる世に逆行して、面倒くささが付きまとうものだ。関係値は会話をしてお互いのことを徐々に知っていくからだ。
そして、二つ目は「松子のような神様なら信じてもいいかもだ」
これは、龍が「神は愛」。見返りを求めることなく、ただひたすらに無償の愛を与える。龍は松子が自分にとって神だったと悟る。という映画のシーンから生まれた言葉だ。愛以外にも神の属性はある。神は全知全能。神は聖なるもの。神は正義。いわゆる神は、特定の価値観を強制的に押し付け、従わない者には圧倒的な暴力をもって裁きの名の殺戮を行う。
松子はバカだし、弱いし、低俗だし、決して正義でもない。聖や正義や全知全能とは真逆の存在だ。ただただ、ひらすらに愛を注ぐ。しかし世界の神様がみんなそんなふうなら、この世から争いはなくなり、真の平和になっていることだろう。この言葉には「松子がもし賢かったら」、などを考えることの野暮さ、愚かさなどを表してくれていて、綺麗で素敵です。
終わりに
長かったですが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ではまた!
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